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2008/02/29

夜の散歩。

7s_055

例えば毎日毎日仕事が終わるのが遅くって、
「ふぅっ」、とかちいさくため息をつきながら
地下鉄に乗り込むこんな生活って、と思いつつ
かといって、まれに早く帰れる時は
その非日常な感じにどうにもこうにも
まっすぐ家に帰る気になれない、
かといって日頃遅いせいでそんなときに気軽に誘える友もなく、
かといってパチンコとかする趣味などさらさらなく、
ちぇつまんないけど、
とりあえず帰るかとか思いながら
足は地下鉄の駅には向かわず、
夜の大通りをずんずん進んでいくのである。
寒い夜の空気のなか、
コートに両手を突っ込んで
溜池山王→赤坂見附→四谷と
地下鉄の駅ふた駅ほどをわざわざ歩いて帰るのは
遠廻りでもあるし時間もかかるし
なにやってんだか、とか思いつつも、
i-podで好きな曲を聞きながら
妙に足取りは軽く、
ふた駅なんてあっという間だ。
これも散歩、と
言えなくはないだろうと。

2008/02/27

タータンチェックのクッションカバー。

7s_058

タータンチェック愛好者であるところの自分が
そんな柄のセーターやシャツなどばかり買うので
いつのまにやら、連れも影響を受けるらしく
「最近、チェック柄がいいと思うようになってきた」そうだ。
こうやって夫婦とは好みが似てくるものなのか。
自分はいろいろなチェック柄を
パッチワークでつないであるセーターを持っているのだが、
連れ曰く、それがいい感じなので、
違う柄のタータンチェックを使って
クッションカバーを作ってみた、そうである。

タータンチェック柄のクッション、
けっこう、かわいいじゃないか。

ふたつのチェックがマッチしているような、
ミスマッチのような、
そんなごちゃごちゃ感は、
ヴィヴィアン・ウエストウッドか
コムデギャルソンの柄合わせのようでもある、

…なんて。言ってみただけ。

それにしてもだ。
奥のほうのチェックは
イセタンのショッピングバックと同じに
見えるのだが、
どうなんだろう。

2008/02/25

いつものカトラリー。

7s_052

なんだか去年は、
パラティッシなど皿をいろいろ買ってしまったのだが、
ふと気がつけばフォークやナイフなどカトラリーは、
いつも同じものを使っている。
というか、そもそも一種類しか所持していないのであった。
「えーっと、このフォークとかナイフはいつ買ったんだっけ?」と
思い出してみたら、20年近く前という事実に気がつき
ちょっとびっくりしてしまった。
ものは大事に使わねば、と思うが、
いやあ、20年近い間に皿はいろいろ増えても
カトラリーはこれだけで済ませている…ということが
なんか少し恥ずかしいような気がする。
確か、渋谷のちいさな雑貨屋みたいなとこで買ったんだった。
むろん高級品ではないのだが、
フランス製というところが、購入のポイントだったような気がする。
当時、軽くフランスかぶれだったもので。
柄の部分の別素材をはめ込んだデザインが、
カジュアルで、でも洒落っ気があるようで
好きだったのだ。

そうか、20年と思うと、
もう一生これでもいいか、とも思えてくる。
ビンテージものを使っている気がしなくもないしな。
そもそも、基本的な好みが変わったわけではないので。
と、20年という時間を再確認し、
急にこのカトラリーに
愛着がわいてきた今日この頃。
虫がいい自分である。
あるいは現金な、というか。

2008/02/21

ねこあんか。

7s_053

まだまだ寒い毎日。
寒い日にはあんかがいいねぇ。

ほんわか自然なあたたかさ。
ほっこりほっこり、あったまってくる。
でも、ずっと載せてると動けないのと、
だんだん重くなってくるのが欠点さ。

ねこあんかはなまあんか。
弱ったこころにも効くらしい。

春は目の前、か。

2008/02/19

エディアールのマーマレード。

7s_050

いくつになっても朝は眠く、
時間ぎりぎりまで寝ているので、
朝食はいつも時間との戦いである。
そして寝起きの状態では食欲が旺盛なわけもなく、
ごはんではなく軽くパンであることが多い。
ジャムをつけたトーストを
紅茶で流し込むといった感じ。
そういえば、むかしは朝から甘いものはちょっと、
と思っていたのだが
いまはぜんぜん平気だなあ。
人はいろんなことに慣れるものだ。

パンにジャムといったら、
やはり基本はマーマレードだと思うのだ。
何故かといわれても困る。主観なので。ほろ苦いからか。
そんなマーマレードだが、最近定番になっているのは
エディアールのものである。
すこし高めだが容量があるのでまあいっか、
と、思う微妙な価格帯。
しかしここのマーマレードは種類が多く、
選び甲斐があるのであった。
良く買うのは、ほろ苦さがあるタイプのもの。
なかには『一番摘み』という季節限定のものがあって
ジャムなのに、3,000円近い値段のついているものがある。
およそ庶民的でない価格である。
日頃1,000円台のワインで満足している人間には
たぶんその値段の価値を、
味としてはわからないと思うので買いはしないが。
あっ、くれるなら喜んでいただきたいとは思う。

話は変わるが、
雑誌にポテトサラダのレシピが載っていたのだが、
そのポテトサラダにはクレソンと、
そしてマーマレードが入っているのである。
頭のなかで想像した味が
もしかしてうまいかもと思ったので、つくってみた。
うまかった。
酢豚にパイナップルがはいっているのは
いまだに許せないが、
ポテトサラダにマーマレードは
かなりいい感じである。
絶妙。

2008/02/17

エビ茶の鞄。

7s_047

春が近づいてくるとどこかに出かけたくなる。
べつに遠くへ行きたいというのではなく、
近場で一泊で温泉へとか。そんな程度でいいんだが。
まあ、そう思ってはいてもなんやかやと用事があったり、
気持ちはあっても腰が重かったり、
実際でかけることなど無いのである。
日差しが日一日と長くなってゆき、
気分だけが、そんな旅モードになるのであった。

そして、そんなとき使える鞄がずっとなくて、不自由だった。
いや不自由な気がしていたのだった。
実際はでかけないのだから不自由でもなんでもないわけで。
鞄がないために出かけられないと思いたかったんだな。
腰が重く面倒くさがりの自分の性格を
そうやって正当化しているということである。

そんなある日、この鞄を見つけた。
ボストンバックとスポーツバックの中間のような雰囲気で、
まさに1泊程度にぴったりのサイズである。
合成皮革の質感と、
ボルドーというかエビ茶のような色合いが、
すかしてないというか、いい意味で古くさいような味があり、
なかなかに新鮮だったので、
お買い上げ、させていただいたわけである。

さあ、これで温泉とかいけるぞ、と思っていた矢先。
兄弟が入院してしまい、
様子を見に、実家に1泊で帰ることになった。
その時に、この鞄をぶら下げて帰ったことは言うまでもない。
なんともタイミングがいいような、悪いような。

2008/02/14

ピーウィー。

7s_049

『ピーウィー』とは固有名詞である。
この、トリのようなモノの。
名付けたのはわたくし。
そして、ピーウィーが何者かと言えば
うちのネコのおもちゃである。
かなり使用感があるので、
写真はハーフシャドウ気味で撮ってみた。
東急ハンズのペットコーナーで、
たしか200円ほどで購入したのだった。
でも200円でも舶来品。
ん?こういうものを舶来品とは呼ばない?
そもそも舶来品なんて言葉はいまどき使わない?
ま、どうでもいいことである。
とにかく、安物でも
なんかバタ臭い(これもまたいまどき感のまったくない表現?)
雰囲気があるではないか。
ポップでキッチュな雰囲気あるではないか。
だから名前も、ピーウィー・ハーマンにちなんで
ピーウィーにしてみた。
トリみたいで音的にもあってるかなと思ったので。
さて、ピーウィーは、
体が青で、くちばし(の、ようなもの)がオレンジで
髪の毛(とさか?)が紫と、
カラーリングはファンキーだ。
こんなものでも、制作デザイナーがいるのだと思うが、
その色彩感覚にはちょっと尊敬してしまうのである。
自分ではこういう色使いができないので。

こんなかわいいピーウィーなのに
ネコは、くちでくわえてから遠くへ放り投げる、
という遊びをする。ネコは残酷なのだ。
で、ピーウィーは健気に
それに耐えている、という図式を
勝手に想像しては涙するわたくしである。(ウソ)

2008/02/12

ダッフル・コート。

7s_048

たぶん、このまま大人の格好というものを
知らないままに人生を終えるんだろうと思う。

などど、また大仰な書き出しをしてみたが
なにが言いたいかと言えば、
このままいくつになっても
自分はずっとカジュアルなスタイルしか
できないんだろうな、ということである。
以前は普通のまっとうな大人がする格好が
似合うようになりたいと
思ったこともあったのだが、
きっとそんなことはできないまま行くだろう。
例えばコートだと、
丈の長めなステンカラータイプの、上等の生地のものを
きっちり着るような感じにあこがれたことがある。
あったはずである。
しかし、どうもね似合わんのだね。大人の格好。
体型的な要因がおおきいかもしれない。
つまり体型が大人でない、ということだ。
そんな自分が『とっちゃん坊や』みたいで
嫌だったこともあるが、
この年にもなると、
きっちり開き直っているのであった。

大人の格好、男の格好、
ドレッシーな格好、は似合わない、
自分のキャラではない。
そう線をひいてからは、
服装選びに迷いがなくなった、なんて。
だからそんな自分の冬のコートは、
ダッフルコートなのである。
ジーパンであろうが、ほんのたまのスーツであろうが
外套はすべてこのダッフルコート。
そしてたまには鞄を斜めがけしたりもして、
冬の街をいくのである。
70歳になってもそのスタイルでいきたい、と
今は思っている。

2008/02/09

ドア・ストッパー。(に使っているガラス瓶&内容物)

7s_045
海外、それも海に行ったりすると
石や貝殻をひろったりするロマンチストは
けっこういるだろう。

私はロマンチストではないので拾わない。
が、しかし。ウチの連れは、
一見冷めた性格のようで
実はロマンチックなところを多分に持ち合わせており、
石とか貝殻とか、よく拾うのだ。
持ってかえるのが重いんだがな。

まあ、自然に磨かれて曲面が美しい石など、
たしかに拾いたくはなります。
気持ちはわかる。

さて、そんな石だが、得てしてそういうものは
家に持ち帰ると、持て余したりもするのでもある。
拾うときには、なんて素敵なかたちだろうと
すこしウットリしたのが嘘のよう。
あれとちょっと似ているな、
ゲレンデで知りあったスキーのうまい男性が、
街で再会すると、なんであんなに魅力的だったんだろうと思う、ってやつ。
人の場合はなんだが、
石なんかの場合は、こんなガラス瓶に詰めて
ドア・ストッパーにしてみるのはどうだろう。
どうだろうって言われても困るとは思うが。
しかし、けっこうな重さで、
ごく塩梅がいいものである。
旅の思い出だけでなく、
実用性を兼ね備えたミヤゲモノ、と言えなくもない。

2008/02/06

ウィンザー&ニュートンの水彩絵具パレット。

7s_042

日頃、デジタル上での作業ばかりしているので、
なんかこう、かるく絵でも描きたい、と思って
水彩絵具のセットを買ったのだった。

水彩絵具といっても、チューブに入っているものではなく
固形タイプであらかじめパレットにセットできるものだ。
筆もいっしょにしまえて、携帯に便利なものなのである。

この、固形タイプの絵具が並んでいるというのは
なんだか非常に楽しげで、
いい絵が描けそうな気がしてくる。
こんなパレットと、水のはいったちいさいペットボトルでも持って
スケッチに行きたいものである。
希望としては南仏アルルあたりが気分であるが

(ついこのあいだゴッホの足跡を追う、
みたいなテレビ番組をみたもので。
わりと影響されやすいタイプである。)

もちろん国内でもぜんぜんOK、って
行きたいなら自分でさっさと行けばいいだけの話か。
とりあえず、早く暖かくなって欲しいものだ。

この水彩絵具セット、製品名がすごくながくて面白い。

『ウィンザー&ニュートン固形透明水彩絵具
ハーフパン24色ライトウェイト・メタルボックスセット』

ですって。長い。

2008/02/04

アンティークのようなフック。

7s_041

このブログをいつも見てくれている知人から、
「買い物好きですよね」と言われた。

自分は買い物好きなのか?

買い物は確かに好きだが、
買う事については、
けっこう慎重かつ自覚的ではある。
たとえば、千円しないものであっても、
気になるところが少しでもあったら、
買うか買わないかとても悩む。
「千円だし、まぁいいいか」ではなく、
「千円だけど、やめておこう」と、なることが多い。
買い物好きなひとには、
買う事そのものが好きなひとがいるけれど
決してそうではなく、モノありきなのである。
たぶん、だから我が家にはあまり物がない。
「物のすくないお部屋ですね」と、よく言われるし。
それに「新しいもの好き」でもないので、
ダイアル式の電話機とか、
ビデオデッキ一体型の16インチくらいのテレビとか、
いまだに使っていたりする。

なんだか言い訳してる気分になってきた。
わたくし浪費家ではありませんよ。

さて、我が家の廊下には、
こんなフックが三つならんでついている。
二人のエンジェルがラッパを吹いているデザインのこのフックは、
連れがむかしニューヨークに旅行したときに
確かフリーマーケットで買ったと言っていたような記憶が。
たぶんアンティークもどき、ではあると思うが、
古色が付いて、いいこなれ具合である。

2008/02/01

沖縄の器。

7s_043
むかし、民芸的なものは
あまり好きではなかった。
器であれば、手書きふうの彩色が施されていたり、
人の手を強調するような、
てびねりというタイプのものには、
拒否反応を持っていたのである。
それはたぶん、手作り=暖かみがある、
素朴=素晴らしいこと、
みたいな図式が見え隠れするようで、
それがいやだったのだと思う。
趣味の手芸品が、
ときに作り手以外にとって価値がないように、
手作りということや素朴さとは、
決してプラス要素ばかりではなく、
どちらかと言えば、「ひとの手がはいっている」感じが
ひどく鬱陶しいことだってあるのだ。
そのあたりの心理というか、
メンタリティみたいなものが欠如している感じが嫌だった。
あいかわらず面倒臭いやつだ。

しかし、年齢とともに好みというものは
変わってくるもので、
いままで良いと感じていなかったものが
ある日、突然良く見えてきたりもするのである。
この沖縄の焼き物がそうで、
以前の自分であれば、
「この茶碗の、筆致を強調したような模様が嫌だ」とか、
ぼってりした質感が「暑苦しい」と思ったりしたと思うのである。
しかしながら、半年ほど前店頭でこれらの器をみたときには
この素朴さはなんかいい感じだ、なんて思ったわけだ。

どうなんだろ、年を重ねて、
丸くなったとか、
こころが弱っているとか、そういうことか。
ぬくもりが恋しいのか。
ま、そういう部分ももしかしたらあるかのかもしれない。

いずれにせよ、
ひとの好みなんて、決して絶対的なものでなく
うつろうものだということなのだろう。
だから、好きとか嫌いとかなんて
人の意見にまどうことなく
自分がその時その時、どう感じたか、
ということだけに忠実であればいいのだと思う。

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