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2008/04/30

モッコウバラ。

7s_089

以前は、園芸が趣味と公言していたので、
いちおうルーフバルコニーにはさまざまな鉢植えがあり、
バラの鉢もいくつかあるのだ。
植物のなかでバラはやっぱり好きなんだけれども、
そもそもが無精で、きめ細やかな手入れとは無縁な自分には、
扱いかねる植物でもある。
でもこのモッコウバラは別で、たいした世話もせず
ほっといても毎年きれいに花を咲かせてくれる。
丹精凝らしてきれいな一輪をさかせる園芸があれば、
野趣あるニュアンスを優先させる
あえて手をかけない園芸もあるわけである。
自分としてはそれを目指したい。目指していた。
なんて偉そうに。
「野趣ある」ではなく
「荒んだ」と感じる人もいるわけで。
ま、そこは感性の問題ということでひとつ。

とにかく。
直径2cmほどのちいさな花を
株いっぱいに咲かせるモッコウバラは
派手さはないが、印象派の画家の絵のような
咲き方をするバラなのであった。
その周辺だけ明るい黄色に染まるような咲き方である。
よく晴れたゴールデンウィークの休日、
どこに出かけるでなく、
満開のモッコウバラをみながら
缶ビールをぐびぐび飲めば
「けっこうしあわせかもしれない」
なんて思う自分はけっこう単細胞である。
いやいやシンプルなのが一番である。

2008/04/28

ステンドグラス的。

7s_080

教会のステンドグラスを見るのが好きである。
陳腐な言い方だけれども
やはりステンドグラスは光りの芸術であるな。
ガラスというモノを通すことによって、
光りにかたちをあたえ、存在を強調する。

2年ほどまえパリに旅行したとき、
ステンドグラスが有名な教会を2カ所観にいった。
パリから列車で2時間ほどのシャルトルの大聖堂は
荘厳な雰囲気で、なんていうか
キリスト教の世界観にどっぷりひたるような感じである。
もう1カ所のパリのサントシャペルは、
たしか元は王家の専用礼拝堂とかで、
比較的こじんまりとしていつつも
とてもきらびやかな場所であった。

自分がはじめてステンドグラスを「生で」見たのは
いつだったのだろう。
子供のころから教会とはまったく縁のない生活環境だったので、
ある程度おおきくなってからだろうなと、
記憶をたどっていったら、
思い出したのが明治村である。
自分の育った地方では高校生の修学旅行といえば京都で、
行きは新幹線を利用するのだが
帰りは京都から名古屋にはいり
そこからフェリーで地元へもどるのだった。
その帰路に明治村に寄るのである。
ぜんぜん期待していなっかったのだが、
明治時代の建造物を集めた明治村は
それなりに面白い場所だった。
たぶんそのなかに移築された教会があり
そこで見たステンドグラスが初めてだったのだと思う。
そのステンドグラスは階段の踊り場にあって、
サイズも小さいし、さしてドラマチックでもない
素朴なものだったけれど
おだやかな午後の光りのなかで
色をもった光りの絵がきらきらしているのは
とても平和的というか
安息というものを感じさせる場だったような記憶がある。

写真のマリア像は、
うちにある宗教グッズのひとつである。
後光(?)がさしている部分にガラスが埋め込んであり、
これもステンドグラス的なものであるな。
高さ5cmほどのちいさな像なのに
芸が細かいことである。
そういうとこ、ひかれるわけだ。
こんな小さなものに注ぐ情熱に
ぐっとくるわけである。


2008/04/26

羽毛ふとんをかけて寝るネコ。


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うちの飼いネコは、
人のベッドで寝るのが好きである。
ときには人と並んで,
羽毛ふとんをかけて寝ていたり。

しかしツレの寝床にははいるが
こっちの寝床にははいらない。

なぜだ。なぜなんだ。

2008/04/25

おまけのデミタスカップ。

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自宅でコーヒーを飲むときは
もっぱらインスタントコーヒーである。
朝食のときは紅茶だし、コーヒーを飲むのは自分だけなので
簡単なのがいいのだ。

インスタントコーヒーといえば
自然とネスカフェを選んでしまう自分である。
だって昔からネスカフェのCMが好きだったもんで、
インスタントコーヒーといえば
やっぱりネスカフェなわけだ。
使われていた「Killing Me Softly」も好きだった。
ロバータ・フラック。

ちょっと前にスーパーで、
あたらしいコーヒーを買おうとしたら
おまけでデミタスカップがついていたのだ。
「余計かもな…」と思いつつ
すぐ捨てるのもなんなので
食器棚に置いておいたら
思いのほか登場回数が多いのである。
コーヒーを飲むために、とうよりも
例えば少量だけドレッシングを作ったり、
調理時になにかをまぜたりするときに
重宝するサイズなのであった。
だから最近はちょと愛着さえ感じたりして。
今日は日頃の活躍にたいするお礼の気持ちもふまえ
ソーサーにのせてみた。
このソーサーは前から持っているもので
付いてきたものではないのだが。
コーディネートしてみた。

さて先日、
そんな昔からずーーーーーと飲んでたネスカフェが
なぜだか店頭に無く、
しかたなくブレンディを買ったのだ。
そして飲んでみたら
酸味より苦味のあるコーヒーが好きな自分には
ブレンディのほうが好みであることが判明。
ちょっとショックだったのであった。

2008/04/23

P.F.S.のスイッチプレート。

7s_078

10年ほどまえに新築マンションを買った。
住処については、それなりの理想もあったが、
決めたのはどこといって特長のない普通のマンションである。
ま、理想とは遠い部分もあったけれど、
それでも、内装を自由にいじれるということは、
持ち家であるからこその特権である。

しかし入居早々、
ツレが壁紙は嫌いなのではがしてペンキを塗る、
と言い出したときは、さすがに躊躇した。
いやだって新築なわけだし、とか
売らなければばらない事態になる事だって…と
説得を試みるも、「好きじゃない状態で住みつづけるなんて
買った意味がない」と、
これまたもっともな事を言われ
説得されてしまったのである。
まあ、ツレが偉かったのは
その後すべての部屋のすべての壁紙をはがし、
ペンキで塗り直すことを
最後まで一人でやり終えたことだ。
熱しやすい性格が幸いしたともいえる。
キッチンと洗面所の床のビニールの長尺シートも
自然素材のココヤシマットに張り替えて
いちおうの内装変更を終えたわけだが、
スイッチプレートのプラスチックがいやで、
なにかないかと探していて見つけたのが
パシフィック・ファニチャー・サービスの
メタル素材のものなのである。
スイッチプレートはちいさいものだけど、
目につきやすいところにあるので
付け替えることで、
部屋の雰囲気はけっこう変わるものだ。
塗った壁の質感ともよく合って
こなれた感じになったように思う。

あー、
もう「きれいにお住まいです」という
不動産用語では、
表現してもらえない我がマンションではあるが、
それなりに住みこなしているということで
自分を納得させているわけであった。

2008/04/21

趣味のパスタ日記5。

7s_084

コルシカ島を旅行したことがある。
ある時期、フランスの地方のちいさな町にいくのが好きで
ガイドブックをすみずみまで読んで、
おもしろそうなところを探しては
行ってみたりしていたのだ。
コルシカ島に行ったときは、
パリからの航空便のある大きな町から、
バスで4時間ほどのボニファシオという島の南端の町が、
そのちいさな町だった。
山々の間を縫うようにして行くバスのシートに、
ツレとふたりで顔を青くして揺られつづけ
たがいに「あと少しあと少し」と励まし合ったものだ。
同じバスにのっていた屈強そうな白人男性が
こらえきれず袋に顔をうずめるのを見て
「勝った」と、思わずちいさくガッツポーズをしたなあ。

ボニファシオは断崖絶壁の際に張り付くようにしてある町で、
青い海のすぐ向こうはイタリアのサルジニア島である。
観光客もイタリア人が多い。
そのボニファシオで印象に残っているのは
ホテルのレセプションの女性が、
めずらしい日本人の自分たちを見て、
おばあさんが日本人だということで、親近感をもってくれたことと、
町中の中華料理屋でたべた春巻きがものすごくうまかったこと。
そして、イタリアにすごく近いのに、
スパゲッティーがうどんのように柔らかで、
でもそれが日本のナポリタンのようで
けっこうおいしく食べたことなどである。

先日イタリア料理店で
「シラクサ風いわしと松の実のスパゲッティー」
というのを食べた。
シラクサいえば、サルジニア島とおなじ、
イタリアのシチリア島の町の名前である。
素材がいわしと松の実とレーズンという
ちょっと変わった組み合わせなのだが
けっこうクセになるような味だったので
自分でもつくってみた。
いわしはオイルサーディンで代用し、
ローズマリーをちょっと入れた。
好きなんで。
レーズンはドライトマトみたいな役割をさせて
味にこくをだすのだろうか。
なんだか自分で言うのもなんだが
レストランで食べたものよりうまかったぞ。
というか、自分好みの味に仕上がっていた。
こんど、お客があったときにでもつくってみよう。
たぶん好みが分かれるかもしれないけれど。

2008/04/19

紅茶碗。

7s_081
コーヒーカップとか、紅茶碗とか
毎日使う食器は、
とても気に入っているものでも
なんとなく飽きた気分になるときはあるものだ。
飽きないまでも使用頻度がたかいがゆえに
欠けたりこわれたりすることだってある。

でも、
飽きるということはべつに悪いことではない。
飽きるからこそ、別のモノなりコトなりに
トライする機会がうまれるというものだ。
動きがうまれる、ということでもある。

だから、
特別何があるわけでなく、
ただかわり映えのしない日常に
ちょっとした閉塞感を感じたりするとき、
新しいカップを買って
使ってみるなんてことをしても
気分が変わるなら、それはいいことなのである。
そんな日常のささいなことにも
楽しみを見つけられるなら、
それはいいことなのである。
小市民万歳。

さて、この二つのカップは
以前に使っていたものだ。
けっこう大きめのサイズなので
紅茶をがぶ飲みする自分としては
使いやすいカップであった。
イギリスの女性陶芸家のもので
ビームスで買ったのだった。
底にむかってすっと細くなっていくフォルムがきれいなのと、
Drink MeとかSay When と書いてある
ちゃめっけがポイントか。

取手がとれたり、ふちが欠けたりして
最近、出番がなかった。
ツレが修繕をこころみて使える状態ではあるので
またいつか出番もあるだろう。
忘れたころに、
「おおこんなカップがあったか」なんて。

2008/04/18

ビビデバビデブゥ。

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とくに意味はないのだが、
この写真を見ていたら
ふと頭に浮かんできたのである。
ビビデバビデブウ。
これはたしか魔法の言葉であるか?
ちちんぷいぷいみたいなものだったか?

たぶん。
この目がなんか企んでいそうな目なので
思いうかんだ気がする。
でも。
たくらんでいそうで
実はなにも考えていない
フク太郎一歳半。

2008/04/16

ビバンダムくん。

7s_079

そういえば。
少し前に「ミシュランガイド東京」が
話題になったけれど、美食には興味がないし、
そもそも縁がないので、
いったいどういう人が買っていくのだろうと、
そっちのほうに興味があったりする。
あの本、売れたらしいからなあ。
ほんとうにガイドとして活用する人もいるのだろうなあ。
あまりにも違う世界の話なので
なんだかよくわかんないや、
なんて遠い目をしてつぶやいてみても
当然ながら誰も同情はしてくれないのである。

自分とってミシュランといえば、
やっぱりビバンダム。
とくにキャラクター好きというわけではないが
ビバンダムはユーモラスで、
それでいて、色使いのシンプルさのせいか、
なんか洗練された感じさえするのである。
この大きなほうのビバンダムはソフトビニール製で、
ビバンダムが小ビバンダムを抱いている。
左手の仕草がこどもっぽいので
子供ビバンダムかもしれない。
そしてこのビバンダム、おなかを握ると音がなるのだ。
けっこうでかい音なので、
調子にのって家のなかで「きゅー、きゅー」鳴らしていると、
連れにはかなり嫌がられる。
いやがらせにぴったりである。
手前の青いクルマにのっているものは
木製でタイヤがまわるので
けっこうよく動く。
こちらはネコへの嫌がらせにぴったり。
なんか嫌がらせばっかりだが、
でも、ささいな嫌がらせって楽しくないか、
って子供じゃあるまいし。

2008/04/14

サボテン(枯れてる)。

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ふえるいっぽうの本が、
そのまま乱雑に棚の上に積み重ねられ、
なんだか殺風景なので
ちいさいサボテンの鉢をおいてみたのだ。
サボテンならひんぱんに水をやる必要もないし。
ちょっとはいい雰囲気か、
なんてほっておいたら
いつのまにやら枯れていた。
ああ、ごめんよサボテン。
そして、
かたづけなきゃなあ、なんて思っているうちに
ますますひからびてくるわけである。
しかし、そこまでくると
枯れぐあいが
なにやらオブジェのように
見えなくも、ない、気がしてきた。
だからそのまま置いてあるんだけれども
ひとが見たらやっぱり
単なる枯れたサボテンである。

でもなんだな。
モノのないすっきりした部屋はかっこいいし
あこがれる部分もあるけれども、
計算されたインテリアはときどき息苦しく、
モノがたくさんあってごちゃごちゃしていても、
そのひとつひとつが、
きっとその部屋の主人にとって
大切なものなんだということが伝わって、
けして醜くない部屋、というのも
あるんだと思う。
なんかそういう部分が
すこしは家のなかにあったほうが
心地いいのかもなとも思う。
少なくとも、自分にとっては。

で、どうだろう、
枯れたサボテンはやっぱり
かたづけるべきか。
サンタフェの乾いた風は感じないか。

2008/04/13

ダミンズ。

7s_073

惰眠クラブへようこそ。
いいのよ、休日だから。
あっ、
ネコは毎日が休日だ。

2008/04/12

趣味のパスタ日記4。

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いちどだけイタリアに旅行したことがある。

パスタ好きとしては、
本場イタリアということで、
そうとう期待をしていたのだったが、
「アルデンテ」というのは何語だっけ?
と、問いかけたくなるようなものを
食べさせられたことがあった。

よく考えれば、日本で和食を食べても
おいしい店とそうでない店があるように、
イタリアだからパスタがうまいと限らないのは
まあ自明の理なのだけれど、
なんだか、イアリアならどこで食べても
ほっぺたの落ちそうなパスタが
でてくるイメージがあったのだ。
人差し指をほっぺたに当てて、
グリグリ動かす。「BUONO, BUONO!」
幻想、みたいなものである。

さて、カロリー的にどうか、と思いつつ、
ちょっとこってりした味がいいと思ったので、
今回はポルチーニ茸と
生クリームのソースにしてみた。
乾燥ポルチーニもけっこう高いので、
舞茸もたして嵩をふやし、
キノコたっぷりのソースである。
ほんとうは、
もう少し煮詰めてとろみを出す予定だったのだが
麺のゆで時間とのタイミングをはずし、
ちょっとしゃぶしゃぶしたソースだった。
でも味は良かったなあ。
はじめて作ってみたのだけれど、
また登場させたい味ではあったのだ。

2008/04/09

アイアンの燭台。

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どういうわけかセレクトショップというものに
ちょっと苦手意識があり、
その最たるバーニーズは、
自分にとって、
なんだかとても敷居が高いのである。
セレクトショップには
『センス、売ります』みたいな
空気が漂っていて苦手である。
そもそも『セレクトしてる』って、
目線が上ってことだもの。
選ばせてもらいますから、ってことだものなあ。
すごいなあ。スノッブだなあ。
そうか、セレクトショップというのは
スノッブということなのか。

だから、バーニーズに行くことは
ほとんど無いのだけれど
唯一バーニーズで買ったものが、
このアイアンの燭台なのである。
まだバーニースが日本にできて
間もないころだと思うんだけど、
クリスマスシーズンの雑誌広告に、
この燭台が使われていたのだ。
まさに一目惚れで、
見たとたん欲しいなあと思ったのである。
けして安くはない値段だったのだけれど
時代はバブルだし、
季節はクリスマスだしってことで
気が大きくなって買ったのだった。
確かニューヨークの
女性作家の作品だったような記憶がある。
ハンドクラフト感がいい雰囲気。
その当時古い一軒家に住んでいて
その古くはあるがそこそこ広い空間に、
この燭台はよく似合っていたのだった。
いまのマンションでは、
適切な飾り場所がなく、
ちょっと残念なのである。

2008/04/07

エシレバター。

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ちいさい頃、
タケちゃんと呼ばれているいとこがいた。
タケちゃんは、東京に住んでいるのだが
夏休みや冬休みには、
泊まりがけで祖母宅に遊びにくるのである。
たいがい親類が集まれば、
普段よりはごちそうを食べようともなるわけで
子供たちにも何が食べたいかなどと聞いてくれるのであった。
例えばうちの母が「タケちゃんは何が食べたい?」と聞くのである。
そうするとタケちゃんが食べたいと言うのは
いつも決まったものなのだ。
バターごはん。
タケちゃんは偏食児童である。
自宅でもいつもバターごはんを食べていて
バターさえあれば他におかずは不要なのだ。
そりゃあ、自分だってバターごはんは好きだけど、
炊きたてのご飯のときには、
いまひとつ良い顔をされないし、
せっかくおいしいものが食べられそうな機会に
わざわざバターごはんなんて言わなくても、
と、子供の自分は理解不能なタケちゃんを
思うのであった。

いまでも気がむくと
玄米でバターごはんにして食べたりもする。
しっかりした玄米の味に、バターはよく合うのだ。
もともとバターは好きなのだが、
人並みに「健康」に気をつけなければいけない年齢なので
ほんのたまに、ではある。
もっとも最近では、コレステロールも以前より
悪者扱いされないようではあるが。

到来もののエシレバターは、
名前だけは知っていたが、食べるのは初めてであった。
パッケージはかわいいが、
値段はかわいくないんだろうなと思って調べてみたら、
とてもとてもかわいく無かった。
でも、しょせん到来ものなので、
毎朝トーストに塗ってがんがん食べている。
そして先日、ふと思いついて
バターごはんにして食べてみたのだった。
うまかった。バターと醤油はあうねえ。

エシレバターでバターごはんか。
『豚に真珠』って言われそうだ。
いやいや自分はネコ好きなので
どうせなら『猫に小判』と言っていただきたい。

2008/04/04

いちごが好きなネコなのだ。

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一心不乱にイチゴを食べるのである。
こうやって人にイチゴを持たせておいて、
ぺろぺろ舐めるようにして食べるのが好きなのである。
そして、一粒食べきるのである。

うずまきフク太郎、1歳半、
男子イチゴ部所属。


2008/04/02

トートバッグ。

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トートバッグっていってもあれだ、
おまけでついてくるような、うすーい布製のトートバッグ。
これが好きなのである。
なんかお得感があるというか、
「ただなのに布製なんだぜ」
「おまけなのに洗えるんだぜ」
という感覚なのである。
洗える、実にすごいことではないか。
その布製であることの
耐久性みたいな部分に、感動するのであった。
くどいようだが、ただなのに。
だから提供する側の心意気を
感じるわけでもある。勝手にね。
「そんな良いもんじゃないけどとりあえず布製なんですよ
それなりに頑張らせてもらってますよ」みたいな感じか。
そう思う自分は、ちょっとしみったれとも思うのだが
このチープでありながら存在感があるところが、
なんともモノとして好ましいのであった。
休日、こんな安っぽいトートバッグに財布をいれて、
徒歩20分くらいの本屋に
雑誌でも買いにテレテレいくのは楽しいと思うのである。

こういうトートバッグは
無地よりも当然ロゴもののほうがいいのである。
これはデロンギのもの。
ある展示会に行った際にデロンギのブースに山ほど吊るしてあって
FREEと書いてあった。
で、いただいてきたわけである。
律儀にひとつしかもらってこないところが
小市民的な自分である。
ホントは三つくらい欲しかったのである。
ただだし。

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