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2009/01/30

ミーの手帖。

7s_206

うちのツレは自宅にいるひとなのだが、
それでも書き留めておかねばならない予定は
いろいろあって、
手帖は必要なのだそうだ。
だから毎年、手帖を購入するのだが、
ツレの場合はキャラクターもの手帖と
決まっているのである。
ま、小学一年生の行事予定よりすくないくらいで、
それほど細かいことまで書く必要もないので
キャラクター手帖でこと足りるのであろう。
ここ何年かはタンタンものがお気に入りだったようだが、
ことしはムーミンのミーなのである。
キャラクター手帖界にも流行はあり、
今年は「ムーミンキャラ」が
「きている」ようで、
手帖売り場にはムーミンものがけっこう揃っていた。
こんなところにも北欧ブーム?と、
思ったけれど
あながちハズレてもいないようも気がする。
そういえば、手帖を買う際に
ツレがどのサイズにするか迷っていたので
それほど書くスペースが
必要なわけでもないのだから
小さいほうでいいのでは、と
アドバイスして、実際小さいほうを
買ったはずなのだが、
ある日ふと気がつくと手帖が二種類あるではないか。
大きいミー手帖と小さいミー手帖である。
なんで?と聞くと
「やっぱりちょっと書くスペースがせまくって」ですって。
それなら小さいほうは、なにに使っているのかと聞くと
毎日の買い物メモだそうである。
ページをめくってみると、
確かに買い物リストが記入してあるのだが
なんだかとてもシンプルで、
我が家の食事情が端的に読み取れ、
しかもメニューのローテーションも
非常にわかりやすいのであった。
ま、うすうす気がついていたけどさー。

2009/01/28

うさぎの小皿。

7s_205

うさぎって一羽、二羽って数えるんでしたっけ。
うさぎを数えることなんて
ほとんどないので、
つい一匹とか言っちゃうなあ。
最近、批判のまとになっている
どこかの国の首相の国語力を笑えない自分。
逆に勇気づけられたりもして。
この小皿は、その、うさぎが二羽、
跳ね回っているというか遊んでいるというか
そんな絵柄である。
ずいぶんまえに帰省した際、
父親からもらったものだ。
うちの父親は骨董好きなので、
この小皿も「ふるもの市」かなんかで
購入したものなんだろうと思う。
もちろん安物である。
だから、ユーズドとか
デッドストックといった感じかもなあ。
うさぎが跳ね回って、
なんか呑気でいい絵柄だと思うのである。
実際の食器としては、
じつはあまり登場することがないのだけれど
食器棚をひらくとき、
この小皿が目に入ると、
「お、いるいる」という感じで
なんだかほっとしたりする。
なんか、いじらしいやつなのである。
そして、たまには使ってやらんとなあなんて
その度に思うのであった。

2009/01/26

ハルの予感。

7s_204

中二の国語の時間。
その日の授業は、
春をテーマに書かれた詩の解釈だった。
詩の作者は中高年の男性で、
春になると植物や生物や
万物すべてが新しい生命力をあふれさせる、
といった内容の詩なのだった。
だから、その喜びを表現した詩かと思えば
そうではなく、
万物のあふれる生命力が、
人生の後半をむかえた自分の
長く終末へとむかう憂鬱な心持ちを
際立たせる、というのが
正解とされる解釈なのだった。
なんだかなあ。
チュー坊に、
そんなミッドエイジ・クライシスを
理解しろというのはかなり無理があると
いまさらながら思うのであった。
さて、今日の東京はおだやかで
陽のひかりには明るさがあり、
春が近い、そんな気配のする一日だった。
自分はさ、そんな春の予感を感じて
うれしい気分がするのである。
あの詩の語るところも
わからなくはないけれど
でもうれしい気持ちのほうが強いのである。
辛いことや嫌なことがあったとき、
明けない夜はない、と思って
そのつらさに耐えるように
冬もやがて春になり、
自分の悩みなどとは無縁に
季節がめぐることは、
救いにもなるような気がするのだった。
それに、新しいスタートというイメージは
素直にポジティブな気持ちにもなれる。
だからさ、自分は中年だけど
春は好きだなあ、と思った次第。

2009/01/23

色あせた絵はがき。

7s_203

古色という言葉があるけれど、
プリントされたものにも
そういう魅力はあると思うなあ。
リビングの壁には、DMとして届いた
さるブランドのはがきが貼ってあるのだが、
けっこうな年月がたっているので退色して
だいぶ白っぽくなってきている。
でも、なんかそれが良いわけだ。
古色というのは
モノに時間というスパイスを加えることなのかもな。
…なんて、こっ恥ずかしいことを。
基本的にアンティークやユーズドといったものは
好きなのであるが
実は古本はあまり好きではなかった。
モノが本であるだけに、以前の所有者の
なんていうか心みたいなものが
まといついているような気がしてさ。
けっこう神経質だったりもするのである。
でも最近はあまり気にならない。
むしろ、多少退色した印刷や、
折れてふくらんだ表紙の角などが
その本への敷居を低くしてくれるというか、
構えないで入っていけるような気もする。
最近は魅力的な古本屋も多いし、
そういう本屋では、
誰が読んでいたかは分からないけれど
それを古本として売ったひとと
その本が好きで買おうと思っている自分と
好みがいっしょであるというところに
ある親近感さえ覚えてしまうのであった。
…さて、件の絵はがきであるが
なんでそんなに退色した感じが魅力的かというと
使われている写真の情景が、
どこか外国の、
午後の、それも夕方に近い光りを
映しているものであり、
そこにうつる「やるせない感覚」のようなものが
退色した色調世界にひびきあうのだと
思った次第。

2009/01/21

デロンギとフク太郎。

7s_202

ああ、なんか仕事が忙しくて嫌だ。
「忙しくて」なんて言うと、
いまの社会状況でいいことではないですか、などという
なぐさめがはいるものだが、
そういうことではなくて、
なんだかトラブルが続き、そのせいで忙しいのだ。
ヘコむなあ。
ま、そんなヘコむときには、
ネコがいちばん、ということで
デロンギのヒーターのまえの特等席で
ヌクヌクしているネコの写真でも。
なんど「焦げるぞ」と注意しても
ヒーターの至近距離にすわるので
ためしにクッションを置いてみたら
案の定、センターにしゃがみこみ
適度な距離をキープできたのであった。
しめしめ。
それでも、たまに鼻面をわざと
パネルにすりつけたりするんだ。
ネコって熱さに鈍感なのか。

2009/01/18

ジェネラルストアのマグカップ。

7s_201

「シンプルに暮らすって難しいですね。」
話しかけているようにはじめてみたが、
賛同して欲しいんだろうなあ自分は。
ある日ふと気がつくと
なんだかあふれかえるモノのなかで
暮らしている自分がいてうんざりする。
必要最小限のもので暮らすということの
なんと難しいことか。
などど、第三者的な、部外者的な発言をしてみても
そのあふれかえるモノを買ったのは
自分である事実は消えはしないのだ。
モノのすくない家だと言われる我が家ではあるが
それでも知らず知らず、モノは増えていく。
だから「知らず知らず」って、
買ったのは自分だから知らなくはないんだけどもさ。
そんなことを思ったのは、
なんだかマグカップが多くて。
飲むのは2人なんだから
2個あれば十分なのに、なんでこんなにあるんだ。
だからそれは自分らが買ったからなのだが。
しょうがないよなあ、
人間誰しも飽きるということがあるわけで、
モノでさえその機能を満たすだけで
存在はできないものなのだ。
このマグカップは
ぜいぶん前に買ったものだ。
紅茶を飲むにはちいさくて
コーヒー用である。
ロゴものが好きで、つい買ってしまったんだった。
免罪符のように、いまでも「使っている」写真を
載せたわけである。

2009/01/13

散歩の学校。

7s_200

無趣味なんである。
趣味を問われれば『園芸』と答えた頃が懐かしいくらいだ。
いや、いまでもバルコニーには
植物はたくさんあるわけで、
園芸が趣味と公言してもウソではないのだが、
なんていうか、ひところの情熱からの冷め具合を思うと、
胸をはれないっていうか。
海外のナーセリーから、
通販で種を取り寄せたりした頃を思うとなあ。
で、この先中高年を生きて行くわけだから
無趣味はまずいんでは。
と思ったので、
「散歩」を趣味にすることにした。

以前、上野へある美術展をみにいったときのことだ。
お目当ての美術展が、
到着時にすでに入場1時間待ちであることにうんざりし、
観るのをやめて、あたりをぶらぶらしてみようと思ったのだ。
地図のようなものも無かったので、
適当に芸大のほうへまわって歩き出したのだが
とくに目的が無くても、
ぶらぶら歩きは思いのほか楽しい。
適当に道を選んで歩いていたのだが、
気がつくといせ辰があったりして、
「おお、ここがあのいせ辰か」などど
感激したものである。
また最近は、ツレとふたりで自宅付近を
歩き回ることも多く、
(大きな声で言えないが、ダイエット目的か…)
それも意外に楽しめる。
自宅周辺とはいっても
通常通る道というもは、
あんがい決まりきっているわけで
それから逸れて歩くと、
けっこう発見もあるものなのだ。
そういうわけで、
これからプロフィールの趣味の欄は「散歩」ということに。
で、散歩の学校の本も購入した次第。

2009/01/10

ネコのベッドとしての私。

7s_199

今日の東京は寒いのである。
エアコンだけでは部屋が暖まらないので、
クローゼットからデロンギのヒーターを
ひっぱりだしてきた。
それでもまだ寒いので
ネコのベッドとして存在することにした。
あー、
レゾンデートル満喫。

2009/01/08

45rpmの袋。

7s_198

45rpmというブランドは、
若いこ向けの服をつくっているブランドだと思うのだが
ショップにいくと、思いのほか
中年女子(?)率が高かったりする。
なんでかな。
服のシルエットが
女度を強調するようなタイプではないので
着やすいからか。
または服の素材感のナチュラルさ加減と
程度の良いエスニックテイストが、
内なる乙女心をくすぐるのかも。
うちの中年女子も、このブランドは好みのようで
割とよくここで服を買っている。
それで去年の秋冬物を買った際、
商品をこんな袋にいれてくれたんだそうだ。
エコってことなのかもしれないが
余った端切れで、ごく簡単なふくろをつくり
それをショッピングバック代わりに
使っているようだ。
実用性から言えば、強度的にもデザイン的にも
そんなに使いやすいものでもないと思うのだけれど、
なんていうか、佇まいがかわいいのである。
取手のひもが1本という、大胆さというか、
雑さも味があるし、
袋の部分とヒモの部分のチェック使いが
微妙にださいのも味である。
こんな袋がさ、壁のフックなどに
てろっとひっかけてあったりすると
なんかかわいいかも、と
自分のなかの乙女が言うわけだ。

2009/01/06

COMME des GARCONS parfums PARFUMS /series7 SWEET NOMAD TEA。

7s_197

とりあえず、商品名をフルネームで書いてみた。
あいかわらず長い名前だ。NOMADとは遊牧民という意味だそうだ。
「遊牧民のお茶」か、ロマンティックな名前だな。

コムデギャルソンの香水は、パッケージデザインが好きである。
基本的には無機的なイメージのデザインが多いのだが
このseries7 SWEETというシリーズは
「甘さ」ということがテーマになっているようで
例外的にパッケージにもやや装飾的な甘さをだしている。
それでも、
果実や種子を連想するようなそのフォルムが
ちょっとアクがあるように感じるのは
コムデギャルソンという先入観からか。
このブランドの特徴として
とくに女性用男性用とはうたわないが、
この匂いは、やっぱり女性向けではあるだろう。
当然これは自分の、ではなくツレのものである。
一般的にコムデギャルソンというと
甘い、というイメージはうすいと思うのだが
実のところ、服(女性用の)をみても
ディテールは、けっこう甘さがあると思うのだが。
たとえば、丸エリとか、水玉模様とか。
もこもとっとしたシルエットとか。
ちょっとノスタルジーをかきたてるような
甘さのニュアンスがあって、
全体的なクールなイメージのなかにあって、
その甘さのニュアンスが、ツボにはまってしまった人たちが
シンパとなっていくような気がする。
…なんてね。よくわからないけど。
それよりも自分のコムデギャルソン好きが
ツレにも微妙に影響を及ぼしていることが実は気になる。
ギャルソン好きは一家にひとりで十分なのだ。

2009/01/04

イングリッシュ・マフィン。

7s_196

前々からずっと不思議に思っているんだが、
パン屋でイングリッシュ・マフィンが
売られていないのは何故なんだろう。
売られていない、というか
少なくとも自分では
見かけたことがないのである。
ま、スーパーで売っているPASCOのマフィンで
なんら不満はないのだが、
これだけパン屋があふれていて
イングリッシュ・マフィンを見かけないのが
なんとも不思議なのである。
例えばバターとメープルシロップで甘くしても、
ハムでサンドウィッチにしても、
どっちもおいしい、そんな文武両道的な
優等生であるにもかかわらず、である。
そういえば、マクドナルドでも
朝のメニューにソーセージマフィンとか、
確かあったような記憶があるけれど、
それも、朝のみで決して正式メニューに
格上げされることがなく
なんていうか、
イングリッシュ・マフィンはどうも
ぞんざいに扱われる存在のような気がして
それが解せないのであった。
クロワッサンと比較すると、
その差が歴然で、
イングリッシュ・マフィンシンパとしては
地団駄を踏む思いである。
ちょっとオーバーだがな。
09年はぜひとも
イングリッシュ・マフィンが、
メインストリームをいく存在になることを
願うばかりである。

2009/01/01

HAPPY?

7s_195

年賀状って微妙だ。
冬休み明けに、
すぐ顔をあわせる会社の人間宛のものが
実はいちばん多かったりする。
必要ないよなあ、と毎年思いながら
「今年もよろしくお願いいたします」
なんて書いたりする、
きわめてサラリーマン体質の自分を誉めてあげたい。
べつに誉めなくてもいいか。
でも、もう宛名書きも終わったしな
とりあえず良しとしよう。
今年の年賀状は、
うちのネコのブータレ顔に
HAPPY?というコピーをつけてみた。
どう?ぶさカワイイ?
この小憎たらしいカオがいいと思ったんだけど
どうだろうか。
いちおう、いまの自分に充足する幸せというか、
小シアワセにシアワセを感じようという
前向きなメッセージのつもり。
小市民的な幸せでいいじゃないか。
何を言ってるかよくわからないが、
とりあえず、なんていうか
不満とか不平とか言い出したらきりがないし
ちいさいHAPPYでも、
重ねていけば大きなHAPPYになるわけである。
ああ、なんて前向な自分。

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