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2011/12/06

ガラスの水差し。

7s_599

20代の後半から、
四谷の若葉町というところに10年ほど暮らしていた。

四谷といえば東京の真ん中あたりに位置し、
学習院の初等科や、
迎賓館、上智大学などがあり、
アカデミックかつハイソ感もほんのり漂う場所であるが、
そんな区域の隣り合わせには、
下町然とした住宅地も存在しているのである。

そんな住宅地のなかに、伯母の暮らした一軒家があった。
病を得て、独り身の伯母は
実家のある福島の病院に移ったのであるが、
戻れる予定があるわけでなく、
かといって持ち家であるその住まいを
すぐには処分できない事情もあり
主が不在の家の住まい手として、
当時結婚したばかりだった自分に声がかかったのである。
台所の窓をあけると隣家の茶の間が目の前にあるような、
そんな家ではあったが、
一軒家で2階建ての家屋は、
二人ですむには十分すぎる広さであった。

自分達が住むことになって
残してあった伯母の荷物は親戚によって
すっかり整理されており、
古い木造家屋ゆえ、あちこちにガタがきているのを良い事に、
壁を塗り替えたり、畳をはがして板の間に、
また、Pタイルを張り替えたりと、
改装して住み始めたのである。

すっかり、空の状態で明け渡された家ではあるが、
台所の棚のスミなどに忘れられていたものなどがいくつかあった。
そのなかのひとつがこの水差しである。

その伯母は、親戚のなかでも付き合いが薄く、
1・2度しか会ったことがなかった。
けれどもお中元などには、
弟の家族である我が家に、
メリーのアソートチョコレートなどを送ってくれ、
田舎の子である自分にとって
それがどんなにうれしく、
また都会の匂いを運んでくれるものだったか。

子供がなく伯父とふたりで暮らした伯母の
そして伯父が亡くなった後、一人でその家で過ごした伯母の、
その生活がどんなものだったのかは
まったく想像もつかない。
けれども残されたその水差しを見ていると、
なんとなく、その「暮らし」が
透けてみえるような気がして、
ある親しみと、
その時代へのノスタルジーから、
手元に残してあったりするのだった。

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