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ブログ:ココログ

2008/08/04

ヨーロッパぶらりぶらり。

7s_139

もう8月だ。
ついこのあいだ梅雨明けしたなと思ったら、
あっというまに8月で、お盆ももうすぐじゃないか。
お盆になると秋の気配だって漂うわけで、
すこし寂しかったりするぞ。
「おれの夏はいったい、どこにいったー」とか叫びたくなる。
ま、叫んでも、どこにいったわけでもなく
自分の夏休みは9月末なのでね。
まだまだ先なわけだ。
そして、先ではあるけれども
夏休みともなるとやはり旅行したいなと、思うのであった。
そして、実際に行く、あるいは行けるかは別にして、
気分を盛り上げるのに、
この時期はよく旅行記などを本屋で探し
「行きたい気分」をなだめるのである。

ことしは『ヨーロッパぶらりぶらり』。
本屋でちくま文庫の棚を物色していたら、
山下清著作のこの本の表紙が目に飛び込んできたのだった。
山下清っていっても、
ドラマの『裸の大将』のイメージ、
それももしかしたらキチンと観たことはないかも、
というくらいの知識なのだがな。
なにかとてもおもしろそうな気配なのであった。
知的障害があったという山下清だが、
これだけ文章を書けるなんてすごいなあ、というのが
いちばんの感想である。
画才と文才って共存できるものなのか。
上手い文章ではないけれど
出来事と自分の感じたことを
素直に分かりやすく文章にするということは
実はとてもすごいことなのだと思う。
(ただ本人の書いた文章そのものは、
句読点がなくかなり読みづらいらしいが)
そして、本人が意図したことではないけれど
山下清が自分の感じたことを率直に綴った文章は
ときにコミカルな味があり、読んでいると
くすっと笑わせられるようなところがよくあるのだった。
海外での旅、それは不安や恐れやとまどいと
つねに隣り合わせだし、
いろいろなことにたいする興味もまた増幅されるものだ。
それは自分も山下清もいっしょで、
それらが率直でシンプルな文章で表現されることで
自分の旅のありようと、
すこしづつシンクロしていき、
旅心をかき立てられるのであった。

2008/07/30

マト…シカ。

7s_137

『青春のロシア・アヴァンギャルド』という
展覧会を観に行った。
ロシア、わりに好きなのである。
モスクワ市近代美術館の所蔵作品を中心に
展示されたというこの展覧会は、
作品数がちょっと少なめだったような気がする。
好きな作品もあったのでこういうとなんなのだが、
でもこれで¥1,400の入場料って高くないか。
¥1,000だったら妥当な気がするぞ。
まあ、今日の本題は展覧会ではないので
これくらいにするが、でも¥1,400はなあ、ぶつぶつ…。
さて最近の展覧会といえば
会場最後のお土産コーナー、…ではなく、
ミュージアム・ショップ、の充実度はたいしたものである。
ほんと、芸術を冒涜しているかのようなGOODS,
しかもオリジナルなやつがわらわらと展示されている。
その展覧会の目玉作品を転写した布とかさあ、
安易なモノがけっこうあるんだなあ。
この『青春のロシア・アヴァンギャルド』も
例外ではなく、そんな安直なお土産品が沢山あった。
まあ正直にいえばそんなお土産屋のようなコーナーを見るのが
けして嫌いなわけでもない。
そんなわけでお土産コーナーをひやかしていると
オリジナル商品以外にも
ロシアの陶器とか民芸品みたいなものが
結構並べられているのである。
うーん、それでいっそう土産物屋感がアップしているのか…。
ロシアといえば、やっぱりマトリョーシカであるが
当然ここにも置いてあった。
でも現代もののマトリョーシカってなんか絵柄がね、どうもね。
アンティークっぽいものだったら違うんだろうけど、などど
冷やかし続けていてふと目に留まったのが
この白木生地のままで絵付けしていない
プレーンなマトリョーシカなのであった。
これ、言われなければ
マトリョーシカって分からないかもなあ。
民族衣装を纏わないマトリョーシカは
なんだかぜいぶんモダンな印象で
作家のつくったオブジェのようでもあるのだった。
きれいなものであるなあ。
こんなにきれいで、しかもたったの¥950なんですよ、奥さん。
これは買わなくっちゃですわよねえ、奥さん。

2008/07/15

ポルトガルのラグ。

7s_131

旅行のお土産は楽しい。
モノとそれにまつわる記憶が鮮明に残るのが
旅のお土産だからかもしれない。
その記憶はいつもいつも
楽しいものばかりではないかもしれないが
それでも、記憶というものが
薄れることをまぬがれないものであるのなら、
苦い思い出をふくめ
記憶をとどめておくためのマーカーとして
ひとはお土産を買うのかもしれない。

そんなことを考えたのは、
このポルトガルのラグが、
ツレが旅行したときに買ったものだからだ。
まだ結婚前、大学院に行っていたツレが、
知り合いのポルトガルからの留学生が
一時帰国している際、
遊びに行ったのだった。
いまほどには海外旅行が気軽ではない時代で、
端で見ていると、その留学生とも
それほど親しいというほどではなさそうであるし、
しかも、行きはその留学生の友人というほとんど初対面の外人と
二人してポルトガルに向かうと聞いて、
心配性な自分は、ぜいぶんツレが無鉄砲に思えたのだった。
まあ、いま思えばたいしたことではないのだが。
それでも、旅行から帰ってきたら
両耳にピアスの穴があけてあってびっくりもしたんだった。
また、旅行中ポルトガルの酔っぱらい親父に
「日本人の爪はなんでそんなに黄色いんだ」といわれ
泣いてしまった、と淡々と話していたなあ。
20年前のことだなあ。

そんなことを、
夏用のラグに、クローゼットから引っぱりだしてきた
このポルトガル旅行のお土産をみて
思い出していたのだった。

2008/07/04

地球のはぐれ方。

7s_126

大学1年のときは学生寮に入っていた。
二人部屋で相方は名古屋からきたAくん。
みんな実家からよく荷物が届き、
なかにはインスタント食品だとかが
たくさん詰め込まれていた。
ある日、A君の実家から荷物が届いたのだが
そのなかに入っていたのが
インスタントの「味噌煮込うどん」だった。
味噌味のうどんなんて、聞いてことがなく
ちょっと顔をしかめる自分に
Aくんは、まあ食べてみてと
一袋わけてくれたのである。
それで夜食時にAくんとふたり
共同炊事場で、つくって見たのであった。
インスタントなので
袋に書いてあるとおり作ればいいのだが
煮込む時間が不安になるほどながくて、
どうしたもんかと思ったのだが
Aくんがそれでいいのだと言うので
煮込んで煮込んで、煮込んだ。インスタントなんだけど。
味?うまかったなあ。インスタントなんだけど。
それが、名古屋名物「味噌煮込うどん」との
ファーストコンタクトであり、
名古屋文化の片鱗にふれたときでもあったわけだ。
オーバーである。
だけれども同じ日本に住んでいつつ
知らないことってたくさんあるのだなあと、
若かりし日の自分は思ったのであった。

さて「地球のはぐれ方」は、
友人である村上春樹と都築響一と吉本由美が、
日本や海外の「ちょっと変な」ところを
旅してまわった記録である。
その最初の旅行地は名古屋。
「ちょっと変」なんて名古屋の人に失礼だけれど、
でも、名古屋以外の人間からみると
じゅうぶん変なものがいろいろあって、
とてもタメになった。
とうぜん味噌煮込うどんもでてくるのだけれど、
でも味噌煮込うどんは、
いまとなっては全国区な食べ物だよな?
と思ったのであった。
どうなんだろな。

2008/05/19

TOKYO SOUVENIR BOOK。

7s_106

以前、会社のオフィスが千代田区麹町にあった。
オフィス街であり地味な場所だけど
新宿通りには、昔からあるような店が
ぽつんと残っていたりもした。
そんな店のひとつに昼休みにたまに入る喫茶店があった。
1Fはお菓子売り場で
2Fが喫茶室になっているのだが、
制服をきたお姉さんが注文をとりにくるような、
クラシックな雰囲気の店だった。
コーヒーを頼むと、
小さいクッキーが何種類か並べられた
小皿がついてくるのだが、
昔ながらのちょっと素朴な感じのクッキーで、
コーヒーを飲みながら、
ポリポリと食べていたのであった。
そして、1Fのお菓子売り場では、
繁華街にあるわけでもないのに、
いつもそこそこお客がいて、
それがちょっと不思議な気がしていた。
その店が泉屋という名前で、
そこに古くからある、わりと名の知られたところであることを
知ったのはずいぶん後のことだった。

このTOKYO SOVENIR BOOKには、
著者の沼田元気が、
東京のおみやげにふさわしいと思うものが集めてある。
泉屋のクッキーをはじめ、お菓子もあれば、雑貨もある。
古くから東京にあるものが多く、
なかには新しいものもあったりするのだが、
おしなべて「懐かしい」匂いをもつのが共通点である。
泉屋のクッキーも、しっかり紹介されていて
「子供のころからもらうのが楽しみだった」と書いている。
ふーん、どうせ自分は地方出身だから知らんねー。
なんて、ちょっと僻んでみたり。
東京は、実のところ、
このTOKYO SOVENIR BOOKのような
あか抜けない部分に、その本来の姿があるように思うのだ。
ま、それもノスタルジーなんだろうけどさ。
でもすくなくとも、ヒルズやミッドタウンよりも
「自分の暮らす東京」に近いことは確かであるな。

2008/04/28

ステンドグラス的。

7s_080

教会のステンドグラスを見るのが好きである。
陳腐な言い方だけれども
やはりステンドグラスは光りの芸術であるな。
ガラスというモノを通すことによって、
光りにかたちをあたえ、存在を強調する。

2年ほどまえパリに旅行したとき、
ステンドグラスが有名な教会を2カ所観にいった。
パリから列車で2時間ほどのシャルトルの大聖堂は
荘厳な雰囲気で、なんていうか
キリスト教の世界観にどっぷりひたるような感じである。
もう1カ所のパリのサントシャペルは、
たしか元は王家の専用礼拝堂とかで、
比較的こじんまりとしていつつも
とてもきらびやかな場所であった。

自分がはじめてステンドグラスを「生で」見たのは
いつだったのだろう。
子供のころから教会とはまったく縁のない生活環境だったので、
ある程度おおきくなってからだろうなと、
記憶をたどっていったら、
思い出したのが明治村である。
自分の育った地方では高校生の修学旅行といえば京都で、
行きは新幹線を利用するのだが
帰りは京都から名古屋にはいり
そこからフェリーで地元へもどるのだった。
その帰路に明治村に寄るのである。
ぜんぜん期待していなっかったのだが、
明治時代の建造物を集めた明治村は
それなりに面白い場所だった。
たぶんそのなかに移築された教会があり
そこで見たステンドグラスが初めてだったのだと思う。
そのステンドグラスは階段の踊り場にあって、
サイズも小さいし、さしてドラマチックでもない
素朴なものだったけれど
おだやかな午後の光りのなかで
色をもった光りの絵がきらきらしているのは
とても平和的というか
安息というものを感じさせる場だったような記憶がある。

写真のマリア像は、
うちにある宗教グッズのひとつである。
後光(?)がさしている部分にガラスが埋め込んであり、
これもステンドグラス的なものであるな。
高さ5cmほどのちいさな像なのに
芸が細かいことである。
そういうとこ、ひかれるわけだ。
こんな小さなものに注ぐ情熱に
ぐっとくるわけである。


2008/04/12

趣味のパスタ日記4。

7s_077

いちどだけイタリアに旅行したことがある。

パスタ好きとしては、
本場イタリアということで、
そうとう期待をしていたのだったが、
「アルデンテ」というのは何語だっけ?
と、問いかけたくなるようなものを
食べさせられたことがあった。

よく考えれば、日本で和食を食べても
おいしい店とそうでない店があるように、
イタリアだからパスタがうまいと限らないのは
まあ自明の理なのだけれど、
なんだか、イアリアならどこで食べても
ほっぺたの落ちそうなパスタが
でてくるイメージがあったのだ。
人差し指をほっぺたに当てて、
グリグリ動かす。「BUONO, BUONO!」
幻想、みたいなものである。

さて、カロリー的にどうか、と思いつつ、
ちょっとこってりした味がいいと思ったので、
今回はポルチーニ茸と
生クリームのソースにしてみた。
乾燥ポルチーニもけっこう高いので、
舞茸もたして嵩をふやし、
キノコたっぷりのソースである。
ほんとうは、
もう少し煮詰めてとろみを出す予定だったのだが
麺のゆで時間とのタイミングをはずし、
ちょっとしゃぶしゃぶしたソースだった。
でも味は良かったなあ。
はじめて作ってみたのだけれど、
また登場させたい味ではあったのだ。

2008/02/29

夜の散歩。

7s_055

例えば毎日毎日仕事が終わるのが遅くって、
「ふぅっ」、とかちいさくため息をつきながら
地下鉄に乗り込むこんな生活って、と思いつつ
かといって、まれに早く帰れる時は
その非日常な感じにどうにもこうにも
まっすぐ家に帰る気になれない、
かといって日頃遅いせいでそんなときに気軽に誘える友もなく、
かといってパチンコとかする趣味などさらさらなく、
ちぇつまんないけど、
とりあえず帰るかとか思いながら
足は地下鉄の駅には向かわず、
夜の大通りをずんずん進んでいくのである。
寒い夜の空気のなか、
コートに両手を突っ込んで
溜池山王→赤坂見附→四谷と
地下鉄の駅ふた駅ほどをわざわざ歩いて帰るのは
遠廻りでもあるし時間もかかるし
なにやってんだか、とか思いつつも、
i-podで好きな曲を聞きながら
妙に足取りは軽く、
ふた駅なんてあっという間だ。
これも散歩、と
言えなくはないだろうと。

2008/02/09

ドア・ストッパー。(に使っているガラス瓶&内容物)

7s_045
海外、それも海に行ったりすると
石や貝殻をひろったりするロマンチストは
けっこういるだろう。

私はロマンチストではないので拾わない。
が、しかし。ウチの連れは、
一見冷めた性格のようで
実はロマンチックなところを多分に持ち合わせており、
石とか貝殻とか、よく拾うのだ。
持ってかえるのが重いんだがな。

まあ、自然に磨かれて曲面が美しい石など、
たしかに拾いたくはなります。
気持ちはわかる。

さて、そんな石だが、得てしてそういうものは
家に持ち帰ると、持て余したりもするのでもある。
拾うときには、なんて素敵なかたちだろうと
すこしウットリしたのが嘘のよう。
あれとちょっと似ているな、
ゲレンデで知りあったスキーのうまい男性が、
街で再会すると、なんであんなに魅力的だったんだろうと思う、ってやつ。
人の場合はなんだが、
石なんかの場合は、こんなガラス瓶に詰めて
ドア・ストッパーにしてみるのはどうだろう。
どうだろうって言われても困るとは思うが。
しかし、けっこうな重さで、
ごく塩梅がいいものである。
旅の思い出だけでなく、
実用性を兼ね備えたミヤゲモノ、と言えなくもない。

2008/02/04

アンティークのようなフック。

7s_041

このブログをいつも見てくれている知人から、
「買い物好きですよね」と言われた。

自分は買い物好きなのか?

買い物は確かに好きだが、
買う事については、
けっこう慎重かつ自覚的ではある。
たとえば、千円しないものであっても、
気になるところが少しでもあったら、
買うか買わないかとても悩む。
「千円だし、まぁいいいか」ではなく、
「千円だけど、やめておこう」と、なることが多い。
買い物好きなひとには、
買う事そのものが好きなひとがいるけれど
決してそうではなく、モノありきなのである。
たぶん、だから我が家にはあまり物がない。
「物のすくないお部屋ですね」と、よく言われるし。
それに「新しいもの好き」でもないので、
ダイアル式の電話機とか、
ビデオデッキ一体型の16インチくらいのテレビとか、
いまだに使っていたりする。

なんだか言い訳してる気分になってきた。
わたくし浪費家ではありませんよ。

さて、我が家の廊下には、
こんなフックが三つならんでついている。
二人のエンジェルがラッパを吹いているデザインのこのフックは、
連れがむかしニューヨークに旅行したときに
確かフリーマーケットで買ったと言っていたような記憶が。
たぶんアンティークもどき、ではあると思うが、
古色が付いて、いいこなれ具合である。

2008/01/20

ウイリアム・エグルストンの写真集。 

7s_035

たぶん自分が中学生の頃、
自宅の居間で、なにかのテレビ番組を見ていたときだった。
画面には、アメリカの、砂漠のような場所に
ずっと続いている道路が映っていた。
人気のないその風景が、
なんだかすごく怖いものに見えたのだ。
番組そのものは恐い内容ではなく、
映っている風景そのものに、
なにか心臓を逆手でなでられるような感覚を覚えたのである。
そんなことは初めてだったので、
つい、いっしょにテレビを見ていた兄に
「この風景、なんだか怖いんだけどなんでだろう」と
聞いたのだった。兄は少し考えたあと
「水平線までみえるような、
なにもない広がりが怖いんじゃないのか」と言い、
2歳年上の兄のその意見に、
そうか何も無いって怖いことなんだな、
と妙に納得したのである。

このウイリアム・エグルストンの写真集を見ていると
その中学生の時の感覚が蘇ってくる。
アメリカの、南部といわれるあたりの風景には
なにか他の国・場所にはない雰囲気があるような気がする。
実際に水平線が見えるかどうかではなく、
水平線まで見渡せてしまいそうな感覚、
ひろがりの空間感とでも言えばいいか。
中学生の自分が「怖い」と感じたそのものは、
いまなら寂寥感とでも言えば
もっとニュアンスが近いものなのかもしれない。

不思議なのは、その寂寥感のようなものが
けして不快というわけではないことだ。
その風景内にあるものの存在の希薄さというか、
それら個別の存在のちっぽけさ加減に気づかせられた諦観が、
心地悪くはない、というか。

そんなことを、
このウイリアム・エグルストンの写真を見ると
思うのだった。

2008/01/09

ブルーのブルボンキーホルダー。

7s_032

去年はどこにも旅行しなかったなあ。

知らない土地をすこしどきどきしながら歩いてみる、
旅の楽しみとはそんなことだと思う。
例えばその場所は海外でなくても、
うちから電車で1時間の町であっても
旅の楽しさに変わりはないのだ。

だから、旅なんていつでもできるはずなのに、
いつも同じような休日を過ごしてしまうのは
根が出不精な人間だからだろうか。

そういえば、
おととしフランスへ旅行したときに、
自分のお土産としてブルボンキーホルダーを
1個買ったのだった。
いまトランクの取手のところに付けてあるそのキーホルダーは
なんとはなし、お守りのようなつもりでもある。
これをつけていれば、
またすぐ旅行のチャンスが来るようにも思ったのだった。
いまのところ、そのご利益は薄そうであるが。
もしかしてそれは、このブルボンキーホルダーが、
7年ほど前に経営破綻してしまった
いまはなきサベナベルギー航空のブルボンであることに
関係はあるんだろうか。

2007/12/18

カマンベールおじさんの時計。

7s_021

実はかわいいものがけっこう好きなのである。
かわいいことは、いいことだ。

しかしながら「かわいい」のパワーは、
なににもまして強力なので、ちょっと気を許すと、
「かわいい」はそこらじゅうに氾濫してしまうのであった。
そして、そうなってしまった「かわいい」は、
もはや暴力でしかないので、
普段は極力「かわいい」を封印するようにしている。
つまり自分では買わないということである。
連れが買い求めるぶんには止めはしないが。
いや、たまには止めるんだがな。
「いい年してそれはどうなの」とか言って。

この「カマンベールおじさんの時計」は、
パリのダニエルおじさんが
カマンベールの空き箱を使い、手作りしている時計なのだそうだ。
文字盤には、昔のチーズのパッケージの絵柄がはめ込まれていて、
もうかわいいったらありゃしない。
連れがネットショップで注文し
遥かパリから航空便でやってきたのである。
それにしても「カマンベールおじさんの時計」という名前は
いくらなんでもという気がする。
ダニエルさんも気恥ずかしのではと、
かわいいもの好きな中年男性としては余計な心配もしてしまうのだった。

我が家のかわいいもの解放区である、連れの部屋で、
このカマンベールおじさんの時計は
パリのエスプリを漂わせながら、毎日時を刻んでいる。
…パリのエスプリ、ってなんだ。

2007/12/14

ティーマ。

7s_022

連鎖、だろうか。
先日パラティッシを買ってからというもの
突如目覚めたかのように、
食器が増えていく我が家である。
そもそも最初にパラティッシを買ったのは自分なのだったが、
それが連れの物欲の火に油を注いでしまったようである。
手始めにはコーヒーカップ。
「前からARABIAのムーミンのコーヒーカップは欲しかったのだ」と
主張する連れである。
まあ、それまで使っていたカップは、
やや欠けもみられたので
替え時だったことはたしかである。
どうせ買うなら自分のものも、と思ったが
さすがに40男がムーミンのコーヒーカップは、なんなので
ティーマのダークブラウンのカップにした。
このティーマ、カジュアル感はありつつも、
シックでいい感じである。
かなり濃いめのブラウンが、
ブラックパラティッシとも相性がいい、と自分では思うのだが。
さらに正直に言えば、ムーミンパパの黒基調の
コーヒーカップでもいいかという考えが
一瞬頭をよぎったことも事実。

2007/12/12

室生寺の近くで買った仏像。

7s_020

「手と手を合わせて、し・あ・わ・せ〜」という、
むかし、そんなCMがあった。

なんともベタな出だしである。
でも、この木彫の仏様をみると
どうしても思い出してしまうので
あ・え・て、枕に使ってみた次第である。

ぜいぶん前に、奈良の室生寺に行ったとき
門前に木彫の店があり、
そこで見つけたのがこの仏様である。
手を合わせたような形は
左右二つに開くようになっていて
開くとそれぞれの手の裏側に
仏様が彫られているのであった。
まあ、仏像としての出来はともかく、
この小さなスペースに仏様が向かいあっているなんて
ありがたい感じはするのだなあ。
べつに仏教徒ではないんだけれども。

宗教関連のグッズ(あえてグッズと言うけれど)は
歴史に裏打ちされているだけあって、
なんていうのだろう、
モノとしての完成度が高いと思うのである。
高級なものは高級さのなかに工芸品的な魅力を持っているだろうし、
チープなものは、チープななりに
モノとしての俗的な魅力とでもいうようなものが
あるような気がするのだ。
だから、どんな宗教のものであっても
ついつい、こころ惹かれてしまうのであった。

2007/12/10

カンペールのクッキーの缶。

7s_018

十数年前のこと、
フランスのブルターニュ地方を旅行したことがあった。
カンペールという町にもいったのだけど
なんだか印象の薄いところ、という記憶しかない。
そのときの旅行は、
ブルターニュの海辺の町が主な目的地で、
たぶんカンペールは、
ブルターニュ地方の中心都市だから
「ついでに寄ってみよう」程度の
軽い気持ちだったのだと思う。

一泊はしているので、
なにかしら観光の記憶があってもいいようなものなのだが、
スケジュールのたて方がよくなかったのか、
多少、町中を散策したことしか覚えが無いのだ。
そして、なんだかつまんないところだと
翌日そそくさとパリに戻る列車に乗り込んだので、
実際にも特別な観光はしなかったのだろうと思う。

それでも、泊まった日の夕飯には
ブルターニュ名物のクレープは食べたのだった。
その頃は、日本ではクレープといえば
生クリームたっぷりのお菓子のようなものだったから
食事タイプの、ハムなどをはさんだソバ粉を使ったクレープを
シードルと一緒に食べたのは、
めずらしいことではあった。
そういえばそのクレープ屋のおばあちゃんに、
フランス語の「満腹です」の言い方を教えてもらったんだけ。

さて、この黄色い缶は、
六本木ミッドタウンにあるディーン&デルーカにいったとき
連れが「缶がとってもかわいい」からと買った、
ブルターニュのクッキーが入っていた缶である。
その地方の民族衣装をきた人などの、素朴なタッチのイラストが
なかなかいい雰囲気である。
そして、ある日、缶のすみっこに
Quimper(カンペール)と書いてあるのに気がついたのだった。
それで「ああ、カンペールかぁ、行ったことあったな」と
印象うすいカンペールという町を思い出しのだった。

この缶は、カンペール焼という有名なハンドメイドの陶器があるらしく、
そのカンペール焼をモチーフにデザインしているようである。

2007/10/15

語るに足る、ささやかな人生。

A128

車は運転しない。
ペーパードライバーとして
20年生きてきたが特別不便は感じていない。
そもそも、基本的に運転というものが好きではないし、
渋滞だとか、駐車スペースを探すとか
そんなことが、自分にとってはとても面倒なことなのである。

ただひとつ、こんなとき車の運転が好きだったら、
と思うのは、海外を旅行しているときである。
もちろん電車やバスなどを使えば、
いろいろな場所に行く事はできるのだが、
車があれば、という場所や、旅のしかたがあるのも
また事実なのだ。

この「語るに足る、ささやかな人生」という本は
アメリカに無数にあるスモールタウンと呼ばれる
ごく小さい町を車で巡って行く旅行記だ。
都会との対比でいえば、
そんなスモールタウンで生きる人生というものは
平凡で刺激のないもののにように想像してしまうが、
スモールタウンでの人生は、
シンプルであるがゆえに、「生きる」ことの本質を
教えてくれたりもする…。

13のスモールタウンを訪ねるこの旅の記録は、
短編集をよんでいるような味わいでもある。
ささやかではあるけれど、
語るに足る人生。
生きることの根源的な意味など
考えることもないけれど、
生きていくこと、生き続けていくことは
それだけで語るに足るものだ、と思える、
そんな旅行記である。

2007/09/16

LA POST のカードスタンド。

A124

唐突だが歌を思い出した。
舌っ足らずな外人男性が、
『ぼんじゅる、オメッメさ〜ん♪』って歌うんだ。
もちろん『ぼんじゅる=ボンジュール』。
『オメッメ=お目め』。
もしかしたら30年近くもまえの、
アイシャドウかなにかのCMソングである。
いや、ふと思い出したもんで。
古い話で恐縮です。
フランスのカードスタンドについて
考えていたらつい。

さてこのカードスタンド、
フランス郵政公社(LA POSTE)のものである。
スノードームのようなタイプで、
真ん中あたりに切れ込みがあり、
そこにカードが差し込めるようになっている。
で、正面からはよくわからないのだが、
スノードームのように
アクリルケースのなかに水が入っており
そのなかに、LA POSTEの黄色い郵便配達車の
ミニチュアがぷかりぷかりと浮いているのである。
チープなんだがな、なんかのんきな感じ。
机の上においておくと和める、ような気がする。

うしろのエッフェル塔は
雰囲気でるかと思って置いてみたんだが
黒くてなんだかよくわからなかったな。失敗。

2007/09/12

石の標本。

A122jpg

フランスのブルターニュ地方の
サンマロという町に行ったことがある。
有名な観光地であるモンサンミッシェルにもほど近い
海辺の小さな町である。
そのころの海外旅行というと、あえて有名な観光地を避け
あまり有名でない日本人には会いそうもないところを
選んでいたような気がする。
嫌みというか、へそまがりというか、
いま思えば、自分をちょっと旅慣れたふうに見せたい、という
自意識過剰以外のなにものでもない、
青臭い動機だったのだろうなあ。

3日ほど滞在したそのサンマロで
お土産に買ったのが、この石の標本である。
見ての通り、プラスチックの小さな箱にローズクォーツなど
12種類の石が並べてあり、ふたを閉めると
それぞれの石の名前が書いてある、チープなもので、
標本と呼ぶのがためらわれるようなものだ。

なぜ、こんなものを買ったのか
まったく覚えていないのだが、
いわゆるお土産やのような店ではなく、
自然をテーマにしたものを売っている、
バラエティショップのようなところだった記憶が
うっすら残っている。

たぶんその時は、
ありきたりのお土産ではないものが
見つけられたような気になって
買おうと思ったのだろう。

とくに気に入ったわけでもないのに
無くなりもせず、
十何年手元のあるのが不思議だ。
逆か。
無関心だったからこそ手元に残っているのか。
ホコリまみれで、ではあるが。

2007/08/12

INVITATION AU VOYAGE。

A114

ヘミングウェイやピカソが愛用していたという
モレスキンというノートブックがある。
黒いオイルクロスを貼った堅い表紙と、
くるりと回しとめるための黒いゴムバンドが特徴的な
歴史あるノートブックだ。

モレスキンは、そんな文房具好きには
とても魅力的なノートで、自分でも何冊か使っていた。
そのモレスキンが
『INVITATION  AU  VOYAGE』という
コンペティションを開き、
モレスキンを使ったトラベルノートブックを募集していた。
自分でノートにいろいろ絵や文章をいれて
オリジナルのトラベルブックをつくる、というものである。

最優秀者3名には
エールフランスのペアのヨーロッパ往復チケットが賞品につく。
で、つまり応募したわけである。航空券欲しさに。
すこしでも可能性を高めるために、
連れにも応募をすすめたりもして。

そして、これで今年の夏休みは北欧でも行こうかくらい
夢は膨らんでいたのだが、
当然ながら、そんなに世間は甘いはずもなく、
ふたりとも入賞はしたものの、最優秀者には選ばれなかった。

いま東京のいろいろな書店で
そのエキシビションがひらかれており
自分のものは今週末から青山ブックセンターに、
連れのは来週からTSUTAYA TOKYO ROPPONGIに
展示されることになっている。

他の人の作品をみると
みんな素敵につくってありなかなかのものだった。
まあ、チケットがもらえなかったのは残念だけれど
トラベルブックをつくるのはとても楽しい作業だったし、
一冊の手帳サイズの作品ができたことに違いはないので
いい記念になったと思う次第である。

2007/06/11

棚の上。

A100

先日DYMOを買った。
あの、塩ビのような素材のテープに、ガションガションと
文字を刻印してラベルをつくるやつだ。
このデジタルな時代に、ひと文字ひと文字、
文字を刻印してラベルをつくるわけだ。なんてアナログな。
おまけに力の入れ方で、文字の出方がちがったり
文字間のバランスが悪かったりする。
なんだけれど、それがなんとも味のあるラベルになるのである。

さてせっかくDYMOもあることだから、と
何冊かある『モレスキン』のノートのタイトルラベルを作ってみたわけだ。
想像以上にいい感じである。
中味はたいしたものではないのだけれど。
あんまり、いい感じなので、棚の上に並べてみた。
グッケンハイムのスノードームも並べてみたり。

いや、恥ずかしくて大きな声では言えないが
ちょっとした世界感ができた気がする。
並べるものでストーリーができている、ような気がするのだが。
どんなストーリーかは、恥ずかしくて言えない…。

2007/06/10

フランス郵便のミニカー。

A099_1

このミニカー、
フランス郵政公社(LA POSTE)の配達車だそうだ。

フランスに旅行したときに
こういう車をみたような気もする。
こんなミニカーでも、なぜかしらオシャレにみえるのは、
フランスの車、という先入観があるからだろうか。
「RENAULT KANGOO(ルノー カングー)」という車種で、
ころっとしたフォルムが愛嬌があるのと
黄色一色のペイントが軽快な感じである。

そういえば黄色い車といえば、
ニューヨークのイエローキャブもあるな。
日本だと、黄色い車というのは、やけに色が浮き上がり
あまりセンスよく見えないけれど
フランス郵便の車といい、イエローキャブといい
街なかの風景として溶け込んでいるのは何故なのだろう。
背景としての街並の風景によるのか
車の、黄色の色味の微妙な違いによるのか。
外国というフィルターを通してみている、
イメージ的のものなのか。

2007/05/16

ぼくの伯父さんの休暇。

A093

フランスのブルターニュ地方の
サン・マロという小さな海沿いの町に行ったことがある。
外国人がわざわざ観光にいくような場所ではないので、
町中を東洋人が歩いていたりすると、
とても目立つようなそんな町である。
たぶん、近郊のひとたちが夏のバカンスにやってくるような
ごく庶民的な観光地のような感じだ。
泳ぐには冷たすぎる海なのだが
浜辺には日光浴を楽しむバカンス客がぞろぞろと
それぞれの娯楽にいそしんでいる。
ペタングをしているおじいちゃんおばあちゃんは
こんがり、というか、これでもかという感じで日焼けしていたり。

ジャック・タチの「ぼくの伯父さんの休暇」を読み返していたら
そんなことを思いだした。
この本は、映画の「ぼくの伯父さんの休暇」を、
フランスでノベライズしたものの翻訳本らしい。
映画も確か観ているにもかかわらず、
とくに記憶に残っていないのが我ながら情けないのだが、
たぶん十何年ぶりで読み返したこの本では、
主人公のユロ氏とまわりのひとびとの、
事件ともいえないようなさまざま騒動を描いていて、
フランスのバカンス気分というか、
バカンス中の雰囲気・空気感がとても楽しい。

造本・装丁はフランスの書籍をモチーフにデザインされており、
購入したときには、ちょっと懲りすぎかという
印象をもった記憶があるのだが、
いまみると、いい具合いに古本感がでているような気がする。

それにしても
フランスのバカンス、っていう雰囲気は好きだなあ。
バカンス時期だけフランス人になりたい、と思ったりする。


2007/03/18

グアテマラのお手玉、のようなもの。

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このボールは、木綿糸で編んだなかに
ビーズか米粒のようなものがはいっている、
お手玉のようなものだ。
これを手のひらで握っていると
ストレス解消になるのだそうだ。
たしかに、手のなかでグニュグニュさせていると
手のひらと指のいい運動になる、ような気はする。
まあ、いわゆるマッサージグッズのようなものだろう。

グアテマラ産で、
楽しげな色使いなのだが
編み方がけっこう緻密で、
決してチープなお土産品ぽい印象ではない。
コンランショップなら、1個1,500円くらいで
売ってそうな感じ—という例えは分かりやすいだろうか。

ショップの商品の紹介カードに
『グアテマラのマヤの人たちがつくった…』と
書いてあったのだが、
『マヤのヒトたち』とはマヤ文明のマヤ族のことなんだろうか。
ということはマヤ族っていまでもいたのだったか、
それとも末裔の人というニュアンスで使っているか、
と、へんなところが気になってしょうがなかった。
まあ、だからといって
自分でそれを調べることまではしないわけだが。

2007/02/21

リモワのスーツケース/Classic Flight 追記

A072

ブログには解析機能
(どのブログにもついているものなのかどうかは知らない)
というものがあり、
検索サイトの検索結果からたどりついたアクセスについては、
『どのような言葉で検索したか』がわかるようになっている。
それを見ると、『リモワ』で検索して
このブログに来たひとがとても目立つ。
今、スーツケース界(って、そんなものあるのか)では
リモワが人気のブランドなのだろうか。
そんな『リモワ』検索でたどり着いたひとが、
この[リモワのスーツケース/Classic Flight]の記事を読んで
参考になったのかどうかちょっと気になってしまった。
いや、参考にはならないだろうな。
それで、この『Classic Flight』を
実際に使ってみた使い心地など
すこし補足しようかと思った次第なのである。
ああ、なんか人に優しい自分…。

前の記事の繰り返しになるが、
まず『Classic Flight』を説明すると、
RIMOWAブランドの最新のラインで、
日本では未発売(2006/8月現在)のようである。
よって正規輸入品を置いてある百貨店などには置いておらず、
自分は並行輸入しているネットショップでみつけた。
しかし本国でも発売間もないのか品薄のような印象で、
RIMOWAを扱うショップすべてにあるという感じではなかった。
名前がClassicというだけあり、
昔のRIMOWA製品のフォルムに近づけた復刻版のようなラインらしく、
おおきなところでは、現行ラインより角の丸みがすくなく、
より四角い印象である。
そして取手とか、留め具もアナログというか
昔の鞄みたいな仕様なのである。
(なんていうのだろう、パッチンととめる留め具である)
ケースの内側には布でカバーしてあるのだが、
昔のジェット機のような飛行機柄でとてもかわいい。
でも「筐体の金属がむきだしにならないように、
とりあえずね」といった感じの非常にラフな仕様である。
そもそも、他のRIMOWA 製品がどうなのかは知らないが、
この『Classic Flight』はおよそ堅牢というイメージではない。
パッキングするのに開いた状態だと、
フタになるほうが、
金属がうすくてパッコンパッコンとした感じなのである。
閉じた状態ではしっかりするので問題はないのだが、
金属のスーツケース…というイメージで実物をみると
ちょっと肩すかしをくらったような印象を持つかもしれない。
しかし、よく言われることらしいが
RIMOWAは軽いことが特長らしく、
このパッコンパッコンした薄さは
訳あって、ということなのだと思う。
そして金属だからとうぜん傷がつくわけで、
使えば使うほどその傷は目立ってくるだろう。
それを「味」とか「汚し」といった感覚で
捉えられる人でないと、
RIMOWAを魅力的とは思わないのではとも思う。
まあGパンみたいなものである。
ガンガン使うかっこ良さ、である。
鍵はダイアルロックで、
暗証番号を記録させて使うようになっており、簡単便利。

さて、この手のスーツケースを語る場合、
このRIMOWA とグローブトロッターというブランドが
よく挙げられる。
しかし、自分の好みから言うとグローブトロッターは、
デザインがクラシック過ぎて、
自分にはやや大仰な感じであるし、
だいいちが値段高い。
RIMOWAの、カジュアルな感じや
実用品といったイメージが
いいような気がするのである。

ちなみに、狭い我が家では、
このスーツケースを収納するスペースを確保できず出しっぱなしである。
でも「あえて」そうしているかのような格好良さだと、
自分では思っているのである。そして、
ついでにってことで、
その中には非常時持ち出しグッズとかを入れてあるのだった。
もしもの場合、このスーツケース一つをごろごろ引っ張って
逃げればいいわけである。便利。

 

2007/02/18

路線図入りのマグカップ。

A071

外国を旅するとき、
列車で移動するのが好きだ。

列車に乗りながら、
窓の外の景色を見ているのが好きなのだ。
空や、森や海など、
もちろん美しい自然の風景をみているのも楽しいけれど、
駅をでてしばらくつづく家や集合住宅や
だだっ広い畑の向こうにぽつんとある農家など、
人が住んでいる景色を見ているのが好きだ。

ここにも、あそこにも人々の生活がある、
そして、そこを自分がいま列車で通り過ぎていったあとも
その人々の生活は、ずっとかわらず続いていくんだなあ、
と、なんだか少しだけ不思議な気がしてくるのだ。

人の生活というものは、
この自分がいるいないにかかわらず、
変わらにずっとつづいていく。
当たりまえのことなのだが、
一個人の存在なんてそんなものだということを、
強く意識させられるわけだ。
かといって、それは不快なネガティブな感覚でもなくて、
『そんなもんだよなあ』と、ちょっと苦笑いさせられるような、
気が楽になっていくような感覚なのだ。

旅という時間のなかで、そしてたぶん旅の途中であるからこそ
わきあがってくる感覚だろう。


2007/02/12

agnes.bのポスター。

A069

寝室に貼ってあるポスター。
あらためて考えたら、もう20年近く貼り続けている。
とくに気に入っている、という訳でもなく
『ほかに持ってないから』という消極的な理由で
我が家の白くそっけない壁を飾っているのだった。

それにしても20年か。
20代の半ば、始めてパリに旅行したときに
agnes.bのギャラリーで買ったんだった。
白いシフォンとヌードをテーマに、
さまざまな写真家が作品を撮っている写真展のポスターだ。
agnes.bらしいモノクロームのデザインが良かったのだった。

20年近く貼っているとすでに空気みたいなもの。
とくには気に入ってない、といいつつ
もしなかったら、なにか落ち着きが悪いような気がするんだろうな。
20年とはそういう年月だ。

2007/02/10

ガダルキヴィール。

A068

これらの皿はエルメスなんである。

ラグジュアリーなブランドには
縁のない我が家であるが、
この『ガダルキヴィール』という食器のシリーズには、
ツレが目を惹き付けられ
こうしてテーブルの上にのっているのだった。

彫金の装飾をモチーフにしたデザインパターンが、
エスニックでありつつとてもモダン、
かつ、手描きふうの絵付けがカジュアルな印象だ。
そしてなにより、使われている赤い色が、
工業品であり手彩色のはずもないのだけれど
何度も塗り重ねたような深みのある色で、
その色に、ツレはハートをわしづかみされてしまったらしい。

ツレが『どうかな?』と聞くので
きれいな皿だと思ったので『いいのでは』と言いました。
わざわざツレが、お伺いをたてたのは、
当然それなりに良いお値段だったから。

小さいほうのパンプレートは模様のパターンが6種類あって、
現在我が家には4種揃っている。
全部の柄を揃えたくなってくるのは
まあ、時間の問題かも。

2007/02/05

木製フレームの鏡。

A066

マンションの廊下の壁が、
殺風景なので額にはいった鏡を飾ってある。
大きいほうが50cm角、
小さいほうが30cm角程度の大きさで、
幅のある木製のフレームがついている。
塗ってある白いペンキが、
ふるびて剥げかかっている、ような加工がしてある。

シドニーに
ボンダイビーチというこじんまりした
海辺の街があって、
オーストラリアに旅行したときに泊まった。
日曜に近くをぶらついていると
広場でフリーマーケットをやっていて
たくさんの店がでており、
そのなかにこんな鏡を売っている店があったのだった。

趣味ではなく、
商品として製作しているようで
似たような大小様々なフレーム付きの鏡を売っていた。
つくりがしっかりしていて
日本のインテリアショップで買ったら
けっこう高そうなものなのだが
おどろくほど安く、
大きめのサイズもいろいろあったのだが
持ち帰りを考えてあきらめたのだった。


2007/02/03

BOOK246 (旅の本屋)

A065

旅行は楽しい。

(もちろん国内旅行も楽しいが
その準備の大仰さからすれば海外旅行のほうが
イベント度からいってより楽しい)

それでも、当然ながらお金というシビアな問題と、
休暇というリアルな問題から
そうそう旅行にいけるわけではない。
そもそもの事をいうなら、
本人、基本的に腰の思いタイプでもあるわけで。

でも旅行の楽しみは、実際に行くだけでなく
その前の下調べもたのしいし、
行く先に関連する本を読んだりすることも楽しい。
そして、『こんど行くとしたら何処いこう』と考えたり、
知らない場所にいろいろ思いを巡らせながら
本などを探すことも、旅の楽しみといえるかも知れない。

『BOOK246』は、旅に関連した本と、
ちょっとしたトラベル雑貨を揃えている本屋である。

新刊だけでなく古書も揃えていたり、
写真集もいっしょに展示するなど
個人宅の書棚を見せてもらっているような感覚と
書籍だけでなく、雑貨商品が混在し、
いい具合に雑然とした、味わいのある本屋なのだ。
そんななかで見る本は
一冊一冊が、『自分を見ろ・読め』という
主張をしているような気がする。

先日ここで買った
『マリアの空想旅行』という本がおもしろかった。

作家森茉莉が
「京都や奈良におもむき、古都巡礼をつづる」エッセイの
予定だったが、本人旅行嫌いなため、
結局最後まで古都の『写真』を見つつ、
空想のままによしなしごとを書き連ねるという、
いつもの森茉莉スタイルになってしまったという本。

森茉莉も、空想で旅行するわけなのであった。

2007/01/22

リモワのスーツケース/Classic Flight

A060

去年、ずいぶん久しぶりに
海外に旅行することになってまず気になったのが
スーツケースの事だった。

キャスター付きのスーツケースがひとつしか無く、
ツレと二人で旅行するときには、
革製のソフトタイプのスーツケースを使っていたのだが、
やはりキャスター付きのほうが何かと楽なので
もう一つ、新しいものが欲しかったのである。

以前、旅行好きの物書きの人が
リモワのスーツケースについて書いているのを読んだ事があり、
そこ載っていた写真のリモワがとても格好よかった。
けっこう使いこんだ感じで、傷やヘコミが多く
航空会社のシールもそのままになっていたりするのだけれど
それがなんといえない『味』と『旅慣れている感』をだしていた。

そんなことがあって、新しく買うならリモワだろうということで
早速デパートに見にいったわけだが、なにかイメージが違うのだった。
なにが違うかと言えば、写真で見たものは
古いタイプらしく全体が四角ばっているのだが、
いまのリモワは角が丸くなっているので、
シャープなデザインの印象がすこし薄くなっているのだ。

どうしたものかと、いろいろウェブを見たりしていたら
あるサイトに、イメージしていたリモワが。
調べてみると、それは『Classic Flight』という
最新の、日本未発売のラインだった。
Classicというだけあり、むかしのフォルムに近づけた
復刻版のようなラインらしい。

日本未発売ということで、がっくりしつつも
さらに調べていくと平行輸入しているネットショップがいくつかあり、
最後には在庫が1点ほどあるところを見つけたのだった。

そんな顛末で購入に至った『my RIMOWA』は
自分達とフランスをいっしょに旅行し、
『汚し』入ったというか、すこしだけ貫禄がついた感じである。

2007/01/16

風の影。

A057

久しぶりにミステリーを読んだ。

なぜ久しぶりかというと、
このところふたつのブログの更新に追われていて、
(たいしたブログでもないのに、なんだかな…)
まとまった時間がとれず
ミステリーや長めの本を読むのを避けていたもので。
とくにミステリーは、面白くなってきたとき
途中で読むのをやめなければいけないときの、
あのフラストレーションを味わいたくないし、
それでも時間を気にしつつ読んでいると、
つい斜め読みしているときがあったりするからなのだ。

そんななか、正月休みでもあるし、と
手に取ったのがこの『風の影』である。

半年まえ、バルセロナに行こうと計画していたとき
書店でみかけ面白そうかなと思っていたのだ。
結局バルセロナではなくフランスにいくことになったので
この本のことも忘れていたのだが、
年末にいった書店では、〈ミステリーランキング〉の上位にあり
ふたたび手に取ってみたわけだ。

いやあ、面白かった。
というのが素直な感想。かなり分厚い上下刊ある文庫本だが、
その長さを全く感じなかった。
こういう内容はゴシック小説的、というのだろうか、
バルセロナという街のもつ魅力が、
小説の魅力にもつながっている、気がする。
たぶんロバート・ゴダードなどが好きなひとは楽しめるだろう。
自分の場合、バルセロナに行こうと思って
いろいろガイドブックなどを見ていたので
余計に小説のディテールが深くしみてきたのかもしれない。

バルセロナに行ってみたい。

2006/12/16

ロザリオ。

A042

5年ほど前、
はじめてイタリアに旅行したとき
バチカンで買ったロザリオである。

バチカンのサン・ピエトロ寺院では
屋上に登ることができ、
そこは、サン・ピエトロ広場からローマ市内が
一望できる気持ちのいい場所なのだ。
その屋上の一画にお土産物屋、と言っていいのか、
様々なキリスト教関係の品を売るショップがあるのである。
そこでこのロザリオを買った。

ロザリオ、といっても首にかけるのでなく
たぶん手に持つ、仏教の数珠のような使い方をするのであろう、
チェーン部分が短いもの、である。

キリスト教関係のグッズも
プラスティック製の、本当にチープな感じのものも多いが
このロザリオは、クロスの部分が木製で、
横棒部分には『VATICAN』と刻印がしてある。
また、数珠玉が麻ひものようなものでつないであり、
100%自然素材で、
素朴でありながら安っぽくはない作りの
ロザリオなのだった。

そして、その素材感のせいか、宗教的な匂いよりも
なにか民芸品のような雰囲気があり、
お土産心を刺激された、ということなのである。

2006/11/26

飛行機の模型

A027


飛行機は好きなのだと思う。
それほど利用する機会が多いわけではないけれど、
乗る際には、確かにわくわくしているのだ。
それはメカ的な、マシンとしての興味、というより
旅を象徴するものとしての興味なのだろうけれど。

そして飛行機が、他の交通機関にくらべて
『特別な乗り物である』感覚、
そんな感覚も、海外旅行がカジュアル化した今の世代からは
笑われそうだけれども、
やはり飛行機とは夢のある乗り物だと思うのだ。

写真はエールフランスのコンコルド機の模型。
机の上に飾ってあるのだが、
ぼーっと眺めて
「旅行いきたいなあ」なんて考えるのが
楽しいのである。

2006/11/22

カルティエのデミタスカップ

A025


20年前のちょうど今頃の季節。
はじめての一人での海外旅行はパリだった。
緊張することも多くて、
そんな自分が情けない気持ちにばかりなっていたのも
まあ、いい思い出と言えなくもない。

旅の最後の日、
なにか記念になるものが欲しいな、と思い買ったのが
このカルティエのデミタスカップだった。
当時の自分にとってはすこし高額な買い物だったが、
『フランスらしい』という条件にぴったりのような気がしたのと、
デザインがとても自分好みだったから。

いまでは、実際に使うことはほとんどないけれど、
このデミタスカップを見るたび、
あの時の緊張感と情けなさを思い出し
ちょっとだけ酸っぱい気持ちになるのであった。