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2012/07/22

リストランテの夜。

7s_667

現実味があるわけでなく、
夢想して楽しむという『夢』もある。

自分のそんな夢想のネタとしては、
食堂の店主というのが定番である。
いや食堂といっても、サバ味噌が売りの文字通りの食堂ではなく、
安くて美味いパスタのような簡単な料理を、
グラスワイン付きの定食でだすような、
ま、ちょっとコジャレた食堂ではあるわけだが。

食器はどうするかとか、
エントランスには、
オリーブの鉢をドアを挟むように
2鉢置こうとか、
場所はやっぱり代々木上原がいいか、
などと勝手に想像するぶんには楽しいものである。

『リストランテの夜』という映画は、
イタリア移民の兄弟が、
弟はフロアと経営、兄はシェフとして
ニュージャージーでリストランテをオープンさせ、
しかしさっぱり客が入らない状態を
一発逆転させるために、ある『夜』に賭ける、という話だ。
そんな映画を観て、
自分のたわいもない『夢』をふと思い出したわけであった。

映画のあと、夢想しながらつくるパスタは、
定番のタコのトマトソースである。
お客のあるときにつくっても
おいしいと評判なので、
食堂をオープンさせる際には必ずや
メニューに登場する予定である。

兄弟の『賭け』は、
結果としてうまくはいかなかった。
けれど、二人の間に残ったかたちのない何かは
その先の希望をつなぐものであるに違いない。

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2012/06/26

ベルリン・フィルと子どもたち。

7s_662

6月のネコは、
かわらず元気に、寝てばかりいる。
いいんだ。ネコは寝るのが仕事だから。
でも、今週末にワクチン注射に病院に連れて行く予定なのだが、
先生には運動不足っていわれるんだろうなあ。
飼い主もネコも運動不足か。
仲良しだな俺たち。

さてそんなネコを膝にのせながら観たのは
『ベルリン・フィルと子どもたち』というドキュメンタリー映画。
サイモン・ラトルの提唱による、
ベルリン・フィルの演奏にあわせて
ベルリンの子どもたち250人が
ストラヴィンスキ-の『春の祭典』を踊る、
という教育プロジェクトを追ったドキュメンタリーである。

もちろん、子どもたちは
ダンスの経験などない。
しかも背負う社会的背景もさまざまな子どもたちを、
振付師のロイストン・マルドゥームは丁寧に、
しかし威厳をもって
『振り』ではなく、
『踊る』ということ、すなわち『表現する』ことそのものを
教えていくのである。

こう書くとさ、
なんか教育的で予定調和的な内容に思えるかもしれないが、
そんなことはない。

最初いやいやながら、そして自信もなかった子どもたちが、
レッスンを重ねるなかで、
なにかを表現することの喜びに気がついて行くのは、
観ている自分自身の喜びでもある。

ま、この映画も青春ダンス映画と言ってもいいんじゃないかにゃ。
ダンス好きにはたまりませんのです。

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2012/06/21

6月17日のパスタ日記。

7s_660

先週末DVDで『日の名残り』を観た。

主人公の執事役、アンソニー・ホプキンスが良い。
すごくひらたくいえば、
カッコつけない高倉健か。

健さんは「不器用ですから」と自分でいうが、
(いや、役柄上は言わないが)
アンソニ−・ホプキンス演じるスティーブンスは
ひたすらポーカーフェイスで、
不器用げな素振りを
決して自分からは見せない。
そんな、執事という職をまっとうしようとしてる男の
幸せと不幸と、半分半分の人生模様が、
後期中年期を生きる自分に
じわじわと効いてくるのだった。

良い映画を観てしみじみした後は
いつも通りパスタでの食事なのだが、
シンプルなトマトソースのをパスタつくりながら考えた。
このホスピテリティあふれる自分には、
執事という職業はもしかしてぴったりなのではないかと。
口も十分堅いです。
それに、実践なきコスプレイヤーである自分には
あのクラシックなモーニングスタイルが
たいそう魅力的である。

でもあれだな。
十何人の使用人を束ねるマネージメント力には
欠けるような気がする。
なんだだめじゃん。自分。
それに気がついてちょっとめげた。
って、なんでそんなにリアルに
想像しているんだ自分よ。

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2012/04/15

4月14日のパスタ日記。

7s_640

昨日の土曜日は、雨だったので
家でDVDなどを観ていた。

我が家では、TAUTAYAのディスカスという
レンタルサービスに入っているので、
ネットで観たい映画を予約しておくと
毎月4枚DVDが郵送されてくる。
以前は近くの商店街の
個人経営のビデオショップで借りていたのだが、
何年か前に、そこが店じまいしてからは
DVDなどはあまり観ない生活だったのだが
一年ほど前に、Glee観たさに、
そのディスカスに入会したのであった。

今回観たのは、
クリント・イーストウッド監督の『チェンジリング』。
結構衝撃的な内容で、複雑な話なのだけれど、
抑制の効いた演出で、しかもよく整理されていて
2時間を超える、その長さをまったく感じない。
とても面白い映画であった。

自分のなかでは
クリント・イーストウッドと言えば
テレビで観ていた『ダーティハリー』シリーズの
アクション俳優の印象が強いのだが、
いまでは巨匠と呼ぶにふさわしい映画監督だもんなあ。

ちなみに、主演はアンジェリーナ・ジョリー。
役どころからみると
やや華やかすぎるキャスティングの気もするが、
1920年代のファッションはぴったりはまっていたし、
リアルさではなくて、映画的な、
主演女優という『華』はあっていいでしょう、という感じ。
分かりにくいが、要はアンジェリーナ・ジョリーも
良かったということである。

おっと、パスタのことを忘れるところだった。
ナスやズッキーニのフリットのようなものを食べたかったので、
パスタは添え物的に、オリーブオイルベースに
パプリカをいれた簡単なものを。
味も、まあそこそこ、という感じ。

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2010/10/29

ヴィム・ヴェンダース EINMAL。

7s_438

『パリ、テキサス』をはじめて観たときは、
20代の前半だった。
若いせいか、または個人的な資質の問題か、
なんというか、感情というものの巾に対する理解がうすく、
悲しいだとか、楽しいだとか、苦しいだとかいう
単純な感情の狭間、または複合したような
複雑な感情、というものが
あまりよくわからなかった気がする。
なんとなく、
こころのなかにわだかまったそんな感情の存在には
気がつきつつも、それを持て余すというか、
扱いかねるような感じでもあったか。
身もふたもない言い方をすれば
「子供」だったということかもしれない。
それでも『パリ、テキサス』に強い印象をうけ、
監督のヴィム・ベンダースの写真集など
買ったりしたのだろう。
『パリ、テキサス』は、
いわゆるロード・ムービーであるが
この『EINMAL』も大量の写真が淡々と続き
ロード・ムービーのようでもある。
なぜかロード・ムービーというものには、
若い頃の自分が持て余したような複雑な情感が
あふれている。
それは、旅というものが
人の生きて行く時間、人生、そのものだからなのか。
ひさしぶりに、この『EINMAL』を開いていたら
また『パリ、テキサス』が観たくなった。
この年齢で、見直すと
ライ・クーダーの音楽も
ストレートにこころに響くだろうか。

2010/09/05

トイレット。

7s_419

通勤で使う地下鉄駅に映画のおおきな看板がある。
いまはベスト・キッドが掲示されており、
ベスト・キッドにはジャッキー・チェンが出演しているのだが
この映画でのジャキー・チェンは、たぶんキッドに対しての
導師的な役割で、だからその看板のビジュアルでのジャッキーは
カンフーのポーズをとりシリアスに写っているわけである。
いままでのカンフー映画のジャッキーとはちがって、
かなり渋い感じなのである。
そのジャッキーがさあ。
そのジャッキーがさあ、
菅首相とそっくりなんだ。
いやほんと似てるんだ。
で、毎朝その看板の前を通るたびに、
「菅さんだ。菅さんがカンフーポースでジャッキー」と思って
一人笑いをかみ殺しているのである。
その駅近くには首相官邸もあるしなあー。
政府関係の人もけっこう利用していると思うんだが、
15人にひとりくらいは、「菅さんだ。菅さんだ。」と
思ってるとおもうんだがな。
15人にひとりってことは、
似てるさ加減が微妙って自分で思ってるってことか。
ま、いいや。
あー、この思いをだれかと共有したくてたまらない。

なんだか、今日のテーマと関係ないことばかり書いているが
この、ベスト・キッドの前は
インセプションの宣伝看板で、観たいと思っていたわけだ。
なにせ日本の至宝ケン・ワタナビもでるしなあ。
ケン・ワタナビは日本の中年男性の星であるからに。
で、そのインセプションが
我が家御用達のシネコンで上映されてるなあ、
と思っているうちに、
同じシネコンでこのトイレットも上映されはじめて
けっきょくトイレットのほうを観てしまったというつながりである。
つなが、ってないか…。
とにかく。
このトイレットの監督の前二作を観てけっこう好きだったので。
ごめんよケン・ワタナビ。
トイレットは、大仰ではないけれど
しずかに元気がもらえる映画である。
存在を肯定してもらえることの大事さってあるよなあ。
ピアノ曲が効果的に使用されていて個人的にツボであった。
あいかわらず、もたいまさこは台詞がないんだけども。
たまには、
いっぱい台詞のあるもたいまさこも観たい気がする。
それが感想か。

2010/05/26

Alice in wonderland。

7s_385

ディズニー的ファンタジーには
ほとんど興味のない我が家である。
ディズニーランドには1回だけ行っことがあるが。
でもとくに楽しかった記憶でもない。
そもそもが、25年も前のことだ。
そんなファンタジー不毛の地である我が家なのだが
先日ツレが映画の「アリス・イン・ワンダーランド」を
観にいきたいという。
ツレ曰く、アリス関連の本は
とりあえずコレクションしているので
映画もどんなものかと思って。とのことである。
ほほーっ、
なんだかアリスの本がいっぱいあるなとは思っていたが
コレクションしていたとは知らなんだ。
アリスもいまやキャラクターものといえるだろうが、
出が児童文学のせいか、
独自のポジショニングを勝ち得ているな。
勝ち得ている、ってべつにルイスキャロルが
そう意図したわけではないけれど。
ま、ともかくもツレの希望と
自分も3D映画というものと、
実写版アリスの世界観に興味があったので
観にいったわけである。
ツレは終わり近くでうとうとしてしまったと
エンディングロールが流れているときに白状したが、
自分もまた中盤2度ほど意識が遠のく瞬間があったことを
白状せねば。
あ、ちなみに隣に座っていた若いカップルの女の子のほうも
「ちょっと寝ちゃった」て言ってたぞ。
アリス、ヒットしているのに。
我々にはミスマッチだったのか?
ネットで予約してやっとこさ観たのに。
3Dもまあすごかったし、絵面もコクがあってよかったんだが、
いまひとつ物語にはいっていけない感じが。
これは、不条理なアリス的世界観の魅力を追うのではなくて
ひとりの女性の成長物語なのか。
それはそれでOKだと思うんだが
成長物語であればなおさらな、
主人公に共感していけるような人物像をつくりあげないと、と思う。
おなじ監督・俳優のファンタジー映画だけど、
シザーハンズには悲哀という感動があったような。
この映画にはそういう情感がいまひとつかけるような。
なんだか中途半端な印象の映画だった。
あ、でもチェシャ猫は良ったし
それと悪い方の女王も好きかもな。

2010/05/11

オーケストラ!

7s_380

クラシック音楽などまったく興味もなく、
素養も無く、
縁遠く生きてきたわけだが、
ふと気がつけば、
土曜日の夕飯づくりの友はクラシックピアノのCDだし、
「題名のない音楽会」を見るのが
日曜朝のひそかな楽しみだったりするではないか。
妙齢になったせいか?
もちろん、クラシック音楽以外を聴かなくなったわけではなくて、
クラシック音楽も聴くようになった、ということなのだが、
そのきっかけはなんだったかなと考えてみると、
それはやっぱりフジコ・ヘミングなんだろう。
クラシック音楽というものが、
奏者によってこんなにも色づくものであるのかと
フジコ・ヘミングの演奏に感動したわけである。
ありがちなきっかけで、
にわかクラシックファンの王道さ加減が
恥ずかしくもあるが、ま、事実なので。
そして最近では、
辻井伸行くんの活躍を、親戚のおじさんのような気持ちで
応援したりしているのである。
あ、友人から読むべきと強制された「のだめカンタービレ」が
予想に反して非常に面白かったことも、
クラシックが身近になっている一因ではあるな。
ほんと最近の俄クラシックファンそのもので、
流行りモノから距離を置いていたい
ひねくれ者としてはちょっとイヤなんであるが。
で、
「オーケストラ!」という映画を観てきたのである。
荒唐無稽なストーリーでコミカルな味わいもある映画なのだが
ラスト10分ほどの、チィコフスキーのヴァイオリン協奏曲の
演奏シーンがほんとうに素晴らしいのである。
「映画だから」なのか
「映画なのに」なのかはよくわからないけれど、
ちょっと鳥肌がたつような感じだった。
もう一回みたい。

2010/04/23

「愛」という言葉を口にできなかった二人のために

7s_375

映画はあまり見ないのに
映画評のようなものを読むのはわりと好きだったりする。
他人の感想を読んで満足する前に
実際の映画を見なさいと言われそうな気もするが。
でも映画館に脚をはこぶ時間って、
けっこう取れないものですよね。
レンタルするのもなんだか面倒で。
って、どんだけ腰が重いんだか自分は。
さて、
『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』は
『世界は「使われなかった人生」であふれている』に続く
沢木耕太郎の映画評である。
映画評のようなものを読んでいると
『いかにも』な論調というか
「映画は好き」なんだろうけれど
なにかマニアックな匂いが強いものがあるけれど、
沢木耕太郎の映画評は、
映画の内容、すなわち主人公の人生そのもの、を
見る側の人生にかぶせて語るような感じがあり、
だから、実際にその映画を観る観ないにかかわらず、
その文章内容そのものに感動したりする。
それが、とても好きなところだ。
『深夜特急』を読んでいるときに
主人公に自分を重ねて旅をする気分であるのと同じように、
映画を観ている沢木耕太郎に重ねて、
自分でもその映画を観ているような感じで
あるのかもしれない。
とりもなおさず、それは読み物としての
完成度の高さ故、なのだろうけれど。
とは言いつつ、
映画を観に行きたくはなるな、やっぱり。
いい映画評とはそういうものでもある、はずである。

2009/09/07

寺内貫太郎一家。

7s_291

桜の季節に、上野へ展覧会を見にいった。
帰り際、このまま上野駅に戻るのもつまらないので
桜の名所だという谷中霊園をまわって帰ることにした。
東京芸大のほうから適当に見当をつけてしばらく歩くと
霊園の入り口らしい場所についた。
そこには道を挟んで片方に花屋、もう片方に石屋があった。
それを見て、そういえばここは
昔やっていたテレビドラマ「寺内貫太郎一家」の
舞台だったのだなと気がついたのだった。
「寺内貫太郎一家」は自分が中学生のころに放送していたドラマだ。
地元では(東京ではないので)水曜の9時からの番組で
毎週とても楽しみにしていたのをよく覚えている。
あの頃はまだテレビが最上級の娯楽だったのだ。

そして先日のこと。本屋をのぞいたら、
向田邦子のドラマのシナリオがシリーズで文庫化されており、
そのなかに「寺内貫太郎一家」があり、
懐かしさにひかれて買ってきた。
ずいぶん昔のドラマなので、ディテールなどは覚えていなかったのだが
樹木希林の演じていた一家の祖母が、
部屋に貼ってある沢田研二のポスターにむかい、
「じゅりぃ〜」と身悶えするギャグが
ものすごくおかしかったことや、
お手伝役の浅田美代子が、けして上手くはなかったが
それなりにはまり役だったのだな、などと
いろいろ思い出しながら、読みすすめたのだった。
最近はテレビドラマなどは観ない(観れない)ので
単純に比較できるものではないが
昔のほうがテレビドラマは面白かったんじゃないか、
などど思ったりもした。
中学生のときの自分と大人の自分では、
感じかたも違うだろうし、
本当に比較できるものでもないんだけれども。
で、
テレビが大好きだった、あの頃の自分が
なんだかすこし
うらやましいような気持ちがしたのであった。